祝! JR只見線 11年2か月振り全線再開通 2022年10月1日

今日、運休区間(会津川口~只見間27.6km)の復旧工事を終え、11年2か月ぶりに全線運転再開したJR只見線。祝賀ムードで盛り上がる沿線と只見駅の様子を見たいと、会津若松駅から“1番列車”に乗った。


JR只見線(会津若松~小出間135.2km)は東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟・福島豪雨」(激甚災害指定)で、会津坂下~小出間(113.6km)が運休するという被害を受け、「第五只見川」「第六只見川」「第七只見川」の各橋梁が流出するなど甚大な被害を受けた会津川口駅(金山町)~只見駅(只見町)の27.6kmは、復旧されることなく代行バスが運行され続けた。*下図出処:福島県大沼郡金山町「広報 かねやま」(平成23年8月号) 表紙とp2 URL:https://www.town.kaneyama.fukushima.jp/uploaded/life/2546_11756_misc.pdf


運休後からしばらくの間、只見線を管轄するJR東日本は、当該区間(会津川口~只見)がJR全体で岩泉線に次ぐワースト2位の平均通過人員(≒利用者数)ということもあり、『単独復旧困難』、『復旧極めて難しい』、『バス代行継続望ましい』等、と鉄道での復旧に難色を示し続けた。*参考:東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日) URL:https://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20130522_tadami.pdf / 下掲載記事:福島民報 2013年5月13日、2014年4月24日、2016年6月19日 付け

 

しかし、只見線沿線自治体(新潟県と魚沼市を含む)のみならず会津地方の他十市町村と福島県、そしてJR東日本などを構成員とする「県JR只見線復興推進会議」で議論が繰り返され、復旧費用の2/3を自治体が負担する”、“上下分離方式により県が鉄道設備等を保有する”という事が決定し、運休から5年5か月を経て鉄路での復旧に道筋がつけられた。*下掲載記事:福島民報 2016年12月27日、2017年2月1日付け

 

 

そして、2017年6月19日に福島県とJR東日本は「鉄道復旧に関する基本合意書」を交わし、鉄道復旧が“決定”した。福島県と会津地方十七市町村が、復旧費用の2/3(現在は1/3)と年間の運行経費2億1千万円(現在は3億円)を負担するという、“地元の覚悟”によりJR東日本を翻意させる事になった。*参考:東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日) / 下掲載記事:福島民報、福島民友新聞ともに 2017年6月20日付け

 

2018年6月15日に起工式が行われ本格化した復旧工事はしばらく順調に進んだが、「第六只見川橋梁」の再架橋工事で死亡事故や工法変更が発生し1年延長された。*下図出処:東日本旅客鉄道(株)「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) URL:https://www.jreast.co.jp/sendai/upload-images/2020/08/202008261.pdf


 

以上の経緯を経て只見線は、今年5月18日にJR東日本と福島県が『本年10月1日(土)に全線運転再開します』と合同で記者発表を行い、7月20日には運休区間で試運転が開始され、11年振りに会津川口~只見間で列車が走行することになった。*参考:福島県・JR東日本「全線運転再開について」(2022年5月18日)  URL:https://www.jreast.co.jp/press/2021/sendai/20220518_s02.pdf / 下掲載記事:福島民報 2022年7月21日付け


 

そして今日、会津若松~小出間135.2kmが11年2か月振りに全線で営業運転が再開され、一本につながった。昨日の地元紙・福島民報では11~14面で企画特集を組み、15面に全面広告を掲載し、“前祝”をした。「上下分離(官有民営)方式」を採用する只見線が、県民の“Myレール”として浸透するためには、このような地元メディアの役割は大きく、今後も適宜特集を組んで欲しいと思った。*下掲載記事:福島民報 2022年9月30日

 

 

“只見線全線運転再開”を迎えた今日、まずは臨時記念列車「再会、只見線」号が会津若松駅~只見駅間を往復で運行される。*下図出処:福島県・JR東日本「只見線 全線運転再開 記念イベントについて」(2022年9月15日) URL:https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20220915_s01.pdf

 

また、地元紙によると、沿線では記念式典や列車出迎えのイベントなどが企画され、旧型客車が牽引される「再会、只見線」号が運行されるということもあり、運休されていた区間内の駅をはじめ各撮影ポイントには“撮る人”も数多く繰り出すだろうと思われた。*下掲載記事:(左)福島民報 2022年9月1日、9月2日、9月16日付け / (右)福島民友新聞 2022年9月30日付け

 

 

今日の旅程は以下の通り。

・会津若松駅6時08分発の小出行き始発列車に乗って、只見駅に向かう

・只見駅で「再会、只見線」号などの、列車の出迎え風景を見る

・電源開発㈱只見発電所・ダムで景色を眺め、リニューアルされた只見展示館を見学する

・只見駅14時35分発の列車に乗って会津若松駅にもどる

  

天気予報は晴れで、運休区間となっていた景色を2009年以来、約13年ぶりに車内から見る事を何よりの楽しみにして、会津若松駅からの“1番列車”に乗った。

*参考:

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  ー只見線沿線のイベントー / ー只見線の秋

 

 


  

 

昨夜、会津若松市に入りし、泊まった。駅前のホテルは盛況のようで、室内灯に照らされた窓が多く見られた。

 

 

 

 

今朝、地元二紙を見ると、どちらも只見線を走る列車が大きく掲載されていた。

福島民報は、表が特別紙面で覆われ、運休していた区間にある「第七只見川橋梁」を走る列車(キハE120形)の写真が、見開きで掲載されていた。試運転中は行き先表示が“試運転”となっていたが、この写真では“会津若松”となっていて、全線運転再開日の朝刊にふさわしい一枚になっていて、感動した。

この特別紙面の裏面には、『全線運転再開までの道のり』が記され、運休していた区間(会津川口~只見) の自治体である金山町と只見町による写真が載っていた。

   

他方、福島民友新聞は第1面と最終面の見開きで、上空から撮影された「第八只見川橋梁」を渡る列車(キハ110形)が掲載されていた。

 

  

会津若松駅に向かうと、暗闇の駅頭には多くの人影が見えた。駅舎解錠は5時と聞いていたので、4時30分頃に向えば良いだろうと思っていたが、考えが甘かった。

 

駅舎に近づくと、すでに20名を超える方々が並んでいた。5時少し前に電灯が点き、駅舎が解錠される頃には、私の後ろにはさらに長い人の列が続いた。

 

駅舎に入り、前の人に続いて改札を通った。改札の前には“始発列車は3番線”という手書きの案内が掲示されていた。

通常、始発列車は4番線発となるが、ホーム幅が狭く、安全面と見送りセレモニーのために幅広の2番3番ホームになったのだろうと思った。

 

改札の正面にある只見線の列車表示器には、“小出”の文字が表示されていた。11年2か月振りの表示となるが、初めて見るような新鮮な感覚だった。そして、今日から会津若松~只見間がワンマン運転となるが、その案内も表示されていた。

 

3番線の、後部車両の後ろドアの停車位置に並んだ。前には7人居たが、座れる事に安心した。

時間が経つにつれて、ホームにはぞくぞくと客がやってきて、4箇所のドア位置に長い列を作った。今日から10月だったが、冷え込みはほとんど無く、寒さに耐えながら待つということは無かった

 

車庫の方には始発列車が見られた。今日のために、郡山総合車両センターで新しくラッピングされた車両を先頭に、キハE120形の2両編成だった。駅員に聞いたところ、本日のダイヤ改正で只見線の小出行き始発列車は1両編成になったということで、今日は乗客の多さを見越して2両編成にしたようだった。

  

この新ラッピングは、只見線全線運転再開と鉄道開業150年も合わせて記念し、かつて只見線を走行していた旧国鉄時代の列車(キハ52形)をオマージュしたものだという。*下図出処:福島県・JR東日本「只見線 全線運転再開 記念イベントについて」(2022年9月15日) URL:https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20220915_s01.pdf

 



始発列車は一旦只見線の本線に入り、ポイントが切り替わった後に、折り返して3番線に入線してきた。ホームでは多くの方がスマホやカメラを構え、撮影していた。

 

始発列車が3番線に停車し、まもなくドアが開かれた。車内に入るが、次々に席が埋まり、私は進行方向左側となる1×1BOX席に相席させてもらった。車内に吊り広告は見当たらず、両側の壁上部に、運休だった区間を中心に列車と風景が収められた写真(ポスター)が、ずらりと掲示されていた。


席について相席の方としばらく言葉を交わした後、荷物を置いて、待合室に入って朝食を摂ってから、ホームの様子を見て回った。 

始発列車の行き先には“小出”とあり、側面には“ワンマン 小出”との表示があった。会津若松駅で初めて見るLED表示の“小出”という文字に、キハ40形が姿を消していった時間の流れを思い、感慨深かった。

 

普段只見線に乗る時に利用する連絡橋に上がり、朝もやに霞む「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)を背景に、小出行きの列車を見下ろした。“小出”という文字が入るだけで、今までとは違った風景に見えた。


 

ホームでは、行き交う乗客・見物客中で、「再会、只見線」号出発式の準備が行われていた。この時は、盛大で絵になる式典が行われるのだろうと、疑いもなく思っていた...。

 

 

 

 

6:08、普段の20倍!と思えるほどの、満員の乗客を乗せ始発列車が会津若松を出発した。階段付近では、運転再開を祝う横断幕などを持った駅員と白い制服を身にまとった駅長をはじめとする多くの方々が、手を振り見送ってくれた。いよいよ、復旧区間を乗車する旅が始まった。

  

 

 

 

列車は七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。上流の正面には会津若松市内最高峰の「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊の稜線が、朝陽を受けた霧の中で朧げに見えた。

 

JR東日本のスタッフとカメラを構えた方2人に見送られ会津本郷を出て、会津若松市から会津美里町に入ると、車窓から会津総鎮守府・伊佐須美神社の最終山岳遷座地となる「明神ヶ岳」(1,074m、会津百名山61座)と、その左(南)には第二遷座地「博士山」(1,481.9m、同33座)の山塊の稜線が、刈田越しに見えた。*参考:伊佐須美神社「由緒と社格」URL:https://isasumi.or.jp/outline.html

 

会津高田では2名のJR東日本のスタッフが居た。会津本郷とも普段は無人駅だが、運転再開初日ということで、職員が出ているようだった。

会津高田を出ると、列車は右大カーブで真北に進路を変え、刈田が所々にある黄金色の田園を駆けた。埼玉県から来たという相席の方は『(景色が)最高っ!』とスマホを構え何度もシャッターを押していた。

 

 

続くと思われた晴天は、意外にも続かず、根岸付近から周囲は霧で覆われ、新鶴を経て若宮から会津坂下町に入る頃には濃霧の中を列車が進んだ。ただ、これは盆地特有の気候で、おそらく七折峠を越える頃には霧は晴れるだろうと思った。

会津坂下で会津川口発の始発列車とすれ違い、列車はディーゼルエンジンを蒸かして七折峠に突入した。

 

 

 

 

6:56、登坂途上の塔寺を出発してまもなく、列車が減速し始め、ディーゼルエンジンの音が弱まり、なんと停車してしまった。そして運転手から『車両に異常が発生したため、停車します』とのアナウンスが入った。しばらく、車内の乗客は静かに待った。

 

途中、『エンジンを切りますので、車内灯を切らせていただきます』とのアナウンスが、計3回入った。徐々に車内は騒がしくはなったが、怒号が飛び交うなどのような事態には至らず、大半の方は静かに、一部の方は冗談を交わし合うなど、にこやかに待ち続けていた。

 

結局、運転手や車内に居たJR東日本スタッフでは対応できず、会津若松駅から保守員を呼ぶとの車内放送があった。そして、7時40分頃に到着した保守員により、復旧作業が試みられた。どうやら、先頭車両(新ラッピング車両‼)のようだった。

列車の先には、林道飯豊・檜枝岐線の気多宮跨線橋の一部が見えた。おそらく、橋上には“撮る人”が居て、この列車を待っていたのであろうと思った。

  

 

8:26、非情にも『状況が改善せず、運転を中止します』との車内放送が入った。この後、「再会、只見線」号の運行も控えている事もあり、やむを得ない判断だと思った。

バスによる救済(代行)運行するということで、只見駅から先の小出駅方面に向かう客から順に後部正面の扉から降りる事になったが、ここでも大きな混乱は無く、乗客は淡々と“脱出口”に向かっていった。 

私見だが、この車両キハE120形は、2020年3月に只見線に導入されてから、これほど(200名)の乗客を乗せて七折峠を登坂した事はなく、日常点検はパスしていても、過大な負荷によって不具合が発生したのではないだろうか。以前、落ち葉での車輪空転事故で運行休止に遭遇した事もあって、登坂途上に塔寺駅での停発車がある“七折越え”は難所、という印象を改めて持った。 


 

9:20、只見駅に向かう客の最後尾につき、私も列車を降りた。線路には10人ものJR東日本スタッフが居て、事の重大さを実感した。

 

『こりゃ、スタンドバイミーだな』と相席の方が言ったが、レールの先はまさにそのような光景だった。

  

乗客には車椅子や高齢の方も居て、別に線路上に配置されたスタッフによって安全に誘導されていた。

 

私もレールの間を、マクラギの上に足を載せて歩いた。途中で振り返ると、記念すべき“1番列車”は、寂しく山中に佇んでいた。

ただ、只見線の“第二の全線開通”とも言うべきこの日にこのような災難が起こった事は、只見線の利活用推進&乗客増に向けて課題が多いことを暗示しているようで、福島県をはじめとする関係者にとっては“艱難”となったのではないかと思った。


 

300mほど離れた蛇石踏切まで歩いて、そこから左折し旧国道49号線に向かった。振り返って眺めたが、この踏切は廃屋に続く道上にあり存在は知っていたが、まさか全線運転再開の日に利用することになるとは...と思った。

 

只見駅に向かう大型バスは、既に出発してしまったようで、旧道にはマイクロバスとワゴン車が2台づつとタクシーが1台停まって、歩いてきた乗客を乗せていた。私は他3人の客とともにワゴン車に乗った。

9:55、“救済ワゴン車”は只見駅に向けて出発。運転手が行き先を聞いたところ、1人が会津越川駅で降りるということだった。 

 

 

ワゴン車は、国道49号線から国道252号線に入り、只見線に沿って快調に進んだ。

10:40、会津川口駅前を通過すると、駅頭にはテントが張られ、多くの人であふれかえっていた。冒頭に掲載した新聞記事によると、今日は記念セレモニーが行われるという。

 

11:08、会津越川駅前で客を降ろしたワゴン車は、金山町から只見町に入った後に国道252号線の寄岩橋を渡った。「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)を背景に只見線の「第八只見川橋梁」が見られ、“観光鉄道「山の只見線」”を代表する風景だと改めて思った。

この風景を撮るために、ドライバーには迷惑だが、寄岩橋上の路側帯には多くの“撮る人”が集まる。しかし、この時は、運転見合わせの報が知れ渡ったようで、三脚だけが置かれていた。今日は陽射しが強く、列車が走っていれば順光の中で良い写真が撮られたのではないだろうかと思った。

 

 

 

 

11:20、ワゴン車は、只見駅前通りにある只見町役場駅前庁舎の前に停車し、私たちを降ろした。駅前では「水の郷うまいもんまつり」が開催され、車両通行止めになっていた。

 

只見駅に向かって歩いてゆくと、こちらに向かって「ブナりん」が誘導者に声を掛けられながら歩いてきて、子どもを見かけると立ち止まり、戯れていた。「ブナりん」はブナの妖精という設定で作られた、只見町の“ゆるキャラ”だ。*参考:福島県南会津郡只見町「只見町キャラクター -プロフィール-

 

少し歩くと、「只見駅広場」になり、観光案内所「只見町インフォメーションセンター」や、「ねっか 只見駅前蒸留所」などが入居するユニットハウスには、多くの客が出入りして盛況だった。

 

先日(9月26日)の訪問で、真っ白だった看板には、両面に只見駅周辺観光案内が掲載されていた。

 

駅前には、テントがびっしりと並び、人であふれていた。

 

駅舎の脇では、オリジナルの横断幕を掲げる方々が居た。横断幕の下部には、「只見線の復旧を求める会・どんぐり山の会」という団体名が記載されていた。

  

駅頭付近にはステージが設けられ、ちょうど、“呑み鉄”で「只見線の歌」を作った俳優・六角精児さんと、只見線応援ソング「大切な場所があるレールウェイ」を作ったシンガーソングライターの大竹涼華さん(只見町出身)のトークセッションが行われていた。*参考:只見線ポータルサイト「只見線応援団」*ページ中段「只見線応援ソング」

 

去年、この只見駅前で「只見線全線開業50周年イベント」が開催されていたが、それよりも多い人出で、カメラなどを持つメディアや沿線自治体の首長などの政治家も目立った。

 

 

只見駅内の様子を見ようと、向かった。

 

駅舎の壁前に設置されたの“カウントダウンパネル”は、当たり前だが、0(ゼロ)日と表示されていた。

 

駅舎の扉には、只見線の列車が11時11分に再開されたとの張り紙が貼られていた。列車が止まった時はどうなることかと思ったが、とりあえず運転開催してホッとした。

 

駅の中に入り、時刻表を見上げた。上りの会津若松行きは3本になっていた。このダイヤでは“観光鉄道「山の只見線」”の実現にはほど遠い。土日祝日や盆・正月休みなどの大型連休中に観光列車を含めた上下3本の列車の追加が必要だ、と改めて思った。

 

 

駅舎を出て、駅周辺を散策した。

駅前通りから線路に沿って延びる道では、「ミニ鉄道体験コーナー」が設置され、小さな子ども達で賑わっていた。

この“ミニ鉄道”は、桐蔭学園高校(横浜市)・鉄道研究部が作成した5インチゲージ鉄道で、只見線を走るキハE120形を模していた。同部顧問の山本英門さんが只見町ふるさと大使を務めていた縁で、只見線の復旧を応援してきたという。*参考:桐蔭学園高校鉄道研究部「只見線」 URL:http://toin-trsc.com/custom3.html

 

 

「只見線広場」の物販スペースや「ねっか 只見駅前蒸留所」、駅頭のテントなどをひと通りみてから、再び只見駅に移動すると、大幅にダイヤが乱れた只見線の列車情報が追記されていた。「再会、只見線」号は2時間30分遅れて11時32分に会津若松を出発し、小出行きの列車は13時頃に只見(発)を見込んでいるという。

聞けば、会津若松駅構内で開かれる予定だった「再会、只見線」号の出発式は中止されたとの事だった。また、会津若松(発)11時11分(ダイヤ上は7時41分発で会津川口行き)が、小出まで延伸運行され、この列車が小出から折返しの会津若松行き(小出(発)13時12分の代わり)になるとの事だった。

  

 

 

 

12:05、帰りの列車の目途がたったため、只見ダムに行くことにした。

国道252号線を魚沼方面に向かって歩き出し、20分ほどで電源開発㈱只見発電所・ダムに到着。ロックフィル式の芝面が、陽光を浴び鮮やかで美しかった。

 

只見ダムの天端から上流を眺める。青空が水面を青々とさせ、陽光がキラキラと反射し美しかった。

 

上流3km先には、国内第二位のダム堤体積を誇る電源開発㈱田子倉発電所・ダムが谷間を塞いでいる。そして、その背後には猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線に御姿を見せられる、“寝観音”様の稜線がくっきりと見えた。この“寝観音”様は、只見駅近くの上野原踏切からも見え、駅舎と列車と併せた一枚を撮る事ができる。

田子倉ダムは、約5億トンを水を貯め、国内第二位のダム式発電をしているが、この大きさのため下流域に逆調整池が必要で、只見ダムがその役割を担っている(只見ダムが完成するまでは、さらに15km下流にある電源開発㈱滝発電所・ダムが田子倉ダムの逆調整をしていた)。

  

只見ダムの左岸には、2つの施設がある。

ひとつは、昨年までお土産処(1F)とお食事処(2F)として営業していた歳時記会館。現在は、無料休憩所として開放されていた。

 

 

もう一つは、「電源開発㈱只見展示館」。入場無料の水力発電のPR館だ。

  

施設は、先月28日にリニューアルオープンした。地元紙によると、VR設備により『田子倉発電所の通常は立ち入り禁止の場所も自由に見て回』れたり(福島民報)、『デジタル加工したダム完成当時の画像を新たに展示』(福島民友新聞)したという。*出処:福島民報、福島民友新聞 ともに2022年9月29日付け

 

中に入り、展示物を見て回った。

すぐに目についたのが、世界一のゴム堰ダムである黒谷ダムの模型。只見川の支流・伊南川に注ぎ込む黒谷川の上流16kmの位置に築かれたダム(取水堰)で、約8kmの水圧鉄管を用いた水路式発電を行っているという。ゴムダムは長さ43.1m、高さ6mということで、模型には人も置かれていて、その巨大さが実感できた。*参考:只見町「ダム」 URL:https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/facility/000584.html

 

他、田子倉発電所のフランシス水車、只見発電所のバルブ水車、滝発電所のカプラン水車の模型を見た。前回の訪問でも見ていたが、水流が電気に変わる多様な仕組みは、何度見ても興味深いと思った。


そして、迫力があったのが、デジタル加工された田子倉ダム建設当時の写真の、大型ディスプレイによるスライドショー表示。


前回訪問では白黒だったものが、違和感の無いカラー写真に変わっていた。嵩を増してゆくダム躯体の向こうに広がる建設ヤードと作業員用の住居、そして現在は只見ダム湖に沈んだ集落の様子などが良く分かった。

 

下流側のアングルには、只見川左岸が切り崩され建てられた林立するバッチャープラントや、運搬路の様子がはっきりと見られた。

今回VR装置は体験できなかったが、「電源開発㈱只見展示館」は田子倉発電所・ダムを中心水力発電所への理解が深まり、東北電力水力館「みお里」と併せて、只見線の利用者に是非立ち寄ってもらいたい場所だと、改めて思った。


 

只見ダムを後にして、「奥会津ただみの森キャンプ場」の中を通って只見駅前に向かった。

サイトには大型バイクの利用者が目立っていたが、空きが多かった。今日は土曜日で、明日の天気の良いことから、只見線関連のイベントに参加した方の利用で混雑すると思ったが、そうでなかったようで、残念だった。

 

只見駅前に向かう途中。只見スキー場を背景に、小出方面に向かう列車が通過した。初めて、只見町でキハE120形を見て、会津若松駅から只見線が一本につながったことを再確認した。また、この列車を見た事で、只見線が本当に運行再開したと安堵した。

 

 

13:45、只見駅に戻ってきた。駅頭の「水の郷うまいもんまつり」会場は賑わいが続いていた。背後には、「只見四名山」で「要害山」(705m、会津百名山91座)が青空の下、どっしりと構えていた。

今日、福島県主催の「只見線全線運転再開記念式典」は、ここ只見町で行わる事になっていて、予定通り12時30分に駅から徒歩5分ほどにある只見小学校の体育館行われたようだった。式典には福島県の内堀知事をはじめ、只見線復旧の基本合意書を交わしたJR東日本の深沢社長(当時は副社長)、国土交通省の斎藤大臣が臨席し祝辞を述べたという。福島県の鉄道が、JR東日本管内で初めて上下分離方式復旧したという事の特異性と重さを感じた。

  

 

 

...「再会、只見線」号の到着が近づき、駅周辺では迎える準備が行われ、人の動きが時間を追うごとに活発になった。只見駅ホームの向かいにある廃ホーム上では、テレビ局のクルーやスピーカーを調整する町関係者が見られた。

 

私は、「再会、只見線」号を撮影しようと選んだ、駅の北東にある上野原踏切に移動した。上空にはヘリコプターが複数台旋回し、バタバタという音が響き続けた。

 

列車の到着時間が近づくにつれて、田んぼを取り囲む道にも人が出てきた。キラキラ輝くポンポンを配る姿も見られた。


郡山土木技術センター(JR東日本)は、オリジナルの横断幕を広げていた。

 

今日を迎えるにあたり福島県とJR東日本は、「只見線記念列車に「手を振ろう!!」キャンペーン」を企画し、沿線自治体を中心に周知してきたという。会津若松市から、会津美里町、会津坂下町、柳津町、三島町、金山町を通ってきた「再会、只見線」号は、多くの住民から手を振られ歓迎されたのであろうと思った。*下図出処:福島県・JR東日本「只見線 全線運転再開 記念イベントについて」(2022年9月15日) URL:https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20220915_s01.pdf

*下掲図:福島県 只見線管理事務所「只見線記念列車に「手を振ろう!!」キャンペーン」チラシ



 

14:20、汽笛が聞こえ、県立只見高校を背景に、DE10型機関車に牽引された旧型客車3両の「再会、只見線」号が姿を現した。先頭には特製ヘッドマークが掲げられていた。

  

このヘッドマークは、冒頭に掲載した記事にある通り『1971(昭和46)年8月29日に只見線(会津若松-小出駅間)が全線開通した当時に掲げられたマークをイメージした』という。*下掲載写真:福島民報 1971年8月30日付け 第1面掲載記事より切り抜き

 

列車は、田んぼの畦道にも繰り出した“出迎え人”に見守られながら、ゆっくりとこちらに向かってきた。

 

「再会、只見線」号は全席予約制だったが、2時間30分も遅れたため空席が多いのではと心配していたが、席はほとんど埋まっていたようで、多くの方々が手を振ってくれていた。

 

 

14:22、「再会、只見線」号が、定刻から2時間10分ほど遅れて只見駅に到着した。ホームでは関係者が、それ以外の方は少し離れた駅舎の前で、旗や手を振り歓迎していた。

 

ホーム向かい側の空き地でも、多くの方々出迎え、歓声を上げたり写真を撮ったりしていた。

 

廃ホームの上には「ブナりん」が立ち、その脇では町の関係者が『おかえり只見線』と記載された横断幕を広げていた。

 

 

只見駅に移動し、駅舎からホームとをつなぐ連絡道に出ると、列車から客が降りていた。折り返し運転をする「再会、只見線」号は15時10分頃になるという。只見駅の滞在時間は当初の予定から30分ほど短くなったとの事だった。

 

まもなく、ホームでヘルメットを被った保守員が牽引車DE10型周辺で作業をし始めた。その後、客車から切り離されたDE10型が小出方面に動き出し、多くのギャラリーに見守られながら宮道踏切の先で停車した。折り返し運転のため、会津若松側に移動するための入れ替え作業のようだった。

DE10型ディーゼル機関車は、運転台が横向きで左右両方に配置されていて、運転席は回転するため正面を向いて運転が可能だという。SLのように転車台を使わなくとも、このように先頭への入れ替えでOKということで、「再会、只見線」号には特製ヘッドマークが前後両方に付けられていた。

 

10分ほどで、DE10型の前後入れ替え作業が終わり、無事に会津若松側に連結された。

 

駅の西側、瀧神社境内の前から、「柴倉山」(871.1m)を背景に「再会、只見線」号を眺めた。低山ながら孤立峰の多い奥会津の只見線沿線は、これら山々を視界にとらえられるだけに、良い風景が車窓から眺められ、“観光鉄道「山の只見瀬」”というフレーズは広く浸透する基盤はある、と改めて思った。

 

空き地に立てられた、大小、色とりどりの衣装を着た案山子がかわいらしかった。彼らの後ろには、“おかえり只見線”と記された看板があった。 


 

 

15時過ぎ、「再会、只見線」号の出発時刻が近づき、再び駅周辺は人の動きが活発になった。私も到着時と同じ、上野原踏切に向かった。

途中、スタッフに声がけ誘導される「ブナりん」に会った。

スタッフによると“目は見えている”というが、「ブナりん」は声がけに従っておぼつかない足取りで、ちょこちょこと歩いて見送り場所に向かっていった。

今日は気温が高く、控え場で休憩をはさみながら、会場を適宜移動し続けた「ブナりん」は大変だったろうと思った。

   

ホームでは、何かセレモニーが行われるようだった。向かい空き地にも、次々と人が集まってきた。

 

 

 

15:15、「再会、只見線」号が汽笛を鳴らし、DE10形のディーゼルエンジンをうなりを上げた。そして、多くの方々の歓声を浴び、手を振られながら、ゆっくりと只見駅を出発した。

 

上野原踏切を通過した後は、田んぼの周りに居る方々から見送りを受け、「再会、只見線」号は会津若松方面に走り去っていった。

    

「再会、只見線」号出発後の駅周辺は、余韻を楽しむように参加者の歓談がしばらく続いていた。巫女の衣装を着たのは地元の女子生徒のようで、“縁結び”のご利益があると言われる「三石神社」に関係あるようだった。*参考:只見町インフォメーションセンター「三石神社」 URL:https://www.tadami-net.com/mitsuishi.html

  

私は駅に戻り『若松行きの列車はいつごろ到着しますか?』とJR東日本のスタッフに聞くと、『まもなく、小出から会津若松行きの列車が到着しますが、出発時間は未定です』と言われた。そこで、まだ混雑するホームに向かった。


15:27、5分ほどで小出方面からやってくる列車が見え、ホームに入ってきた。キハE120形+キハ110形の2両編成で、行き先には“会津若松”と表示されていた。只見駅で初めて見る“会津若松”のLED表示に、感動した。

列車は混雑し、空いた椅子に座らず立っている客も居たが、乗車率は100%を越えているのは間違いなかった。私は、先頭のキハE120形に乗り込み、1×1のBOX席に相席させてもらった。

 

車窓から外の様子を見ると、気付かなかったが、ホームにある屋根の支柱に取り付けられた、“おかえりなさい ようこそ ただみへ”という看板が新しい物に変えられていた。そして向かいの廃ホームでは、私の乗った列車も見送ってくれるようで、“おかえり只見線”とかかれた横断幕を広げる方々が残っていた。

 

 

 

 

16:01、繰り返し流れた車内放送の通り、会津若松行きの列車が只見を出発した。駅に30分ほど停車したのは『先行列車との間隔をあけるため』という事だった。

 

始発列車で見る事が叶わなかった運休していた沿線の風景を、ようやく車窓から眺めることができた。まず、「柴倉山」を背景に、今春の選抜高校野球選手権大会に出場した県立只見高校を眺めた。グラウンドに生徒の姿は見られなかったが、只見線のレールまで届くような左翼越えのホームランを打つ選手はいるのだろうかと思ったりした。

 

先頭車両には少し空席もあったが、20名ほどが立ち続けていた。特に運転席付近には多くの鉄道ファンらしき方々が立ち、“前面展望動画”を撮影している方も居た。

 

進行方向の右手に、“会津のマッターホルン”の名に違わぬ「蒲生岳」の山容が見えた。

 

そして、まもなく列車は只見線最長(372m)となる「叶津川橋梁」を渡った。西陽を受けた橋梁と列車の影が、叶津川に落ちていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

列車は八木沢集落の背後を通り過ぎ、国道252号線の八木沢スノーシェッドの上部を駆けた。路盤法面が崩落した箇所で、法面工を施したため只見川が、運休前より見通せるようになっていた。また、町道五礼橋線に架かる五礼橋の右岸で河岸掘削(水害対策の川幅拡張)と木々の伐採も行われため、運休前より良い景観になり車窓からの眺望ポイントが増えたと思った。

 

16:09、会津蒲生に到着。待合室には手作りの横断板が掲げられていた。

 

 

会津蒲生を出た列車は宮原集落の中を通り過ぎて、再び只見川に近づき「第八只見川橋梁」を渡り始めた。只見川はダム湖に変わり、水面に周囲の景色を映していた。 *ダム湖は電源開発㈱滝発電所

ダムのもの

 

振り返って、「第八只見川橋梁」の下路式トラス橋を見た。佐久間ダム建設のために不用となった国鉄飯田線の天竜川橋梁(静岡県)を転用したもので、今年で供用開始から86年となるが、復旧工事でも架け替えられることなく現役続行になった。鉄の耐久性に、改めて驚かされた。


 

16:15、多くの住民に出迎えられ、会津塩沢に到着。向かいにある車庫には、“祝 おかえり只見線 万歳 塩沢 十島 住民一同”とタイル式の文字板が掲げられていた。

 

列車は「河井継之助記念館」の前を通り過ぎ、再び只見川に近づいた。対岸には「鷲ケ倉山」(918.4m、会津百名山71座)のどっしりとした山容が見えた。

 

只見町金山町の県境を貫く滝トンネルに入る直前に、振り返って塩沢地区を眺めた。「蒲生岳」の緩やかな山裾が只見川の左岸に落ちているようで、良い光景だった。滝トンネル塩沢口では、「蒲生岳」の背後に「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)が見える瞬間があることもあり、只見線の路盤法面を除草すれば、車窓からの眺望が一段と増すポイントだと感じた。

 

 

16:23、滝トンネルを抜け、しばらく走った列車は会津大塩に到着。ホームのみならず、駅周辺でも多くの方が、列車の到着を歓迎していた。

出発後、列車は新「第七只見川橋梁」を渡った。旧橋から形状が変わり、見晴らしの良い上路式から「第四只見川橋梁」と同じ下路式になった。

「第七橋梁」の上流側には、町道の四季彩橋が架かっている。中路式アーチ橋であったため、豪雨で水嵩が増した影響を受けず、被害はなかったという。

  

16:28、会津横田に到着。駅は比較的人口の多い横田地区にあるということからか、中学生と思われる子が“まってたよ只見線”と書かれた横断幕を広げて歓迎してくれた。

 

16:34、会津越川に到着し、ここでも多くの方々の歓迎を受けた。


その後、列車は人気のない山間を走り、橋立トンネル、本名トンネルを抜け、新「第六只見川橋梁」を渡った。トラス鋼材の間から下流側の景色を撮った。

 

上流側の直近には東北電力㈱本名発電所・本名ダムがあり、今日はゲートを1門開放していたために落水の様子が見られ、多くの乗客が写真を撮っていた。


“新”「第六只見川橋梁」も豪雨での只見川水位上昇による影響を避けるため上路式から下路式トラス橋に変わった。橋梁は旧橋から大きく形状変更されたが、周囲の山々や木々が変わらないため、大きな違和感はなかった。

   

16:44、列車は運休区間で唯一“会津”が冠らない本名に到着。意外にも多くの方が降りた。おそらく、この次の会津川口で行き違いを行う小出駅行きの列車に、会津川口駅での混雑を避けて乗車するのだろうと思った。

 

本名を出て、列車は「第五只見川橋梁」を渡った。水害で会津川口方の橋桁1間が流出したのみで、橋梁の大部分は運休前のままで、下路式トラスなど鋼材の錆が目立っていた。復旧工事に合わせて塗装し直して欲しかった、と改めて思った。

 

この先、列車は只見川沿いを走る“景観区間”になった。川とレールの間に木々は少なく、眺めが良い。

 

只見川に和船を浮かべ、手を振る船頭の姿もあった。

 

 

 

16:50、列車は30名は優に超える人々が待つ会津川口に到着。これで、運休していた区間の走行が終わった。

会津川口では、先に下り列車が入線していたこともあり、まもなく出発した。乗客はあまり増えず、ホームに居た大半の方は、小出行きの列車に乗ったのだろうと思った。

 

 

17:05 、車は会津中川を出て、「第四只見川橋梁」を渡り、会津水沼に停車.。ホームにあったタイヤで作られた花壇を見ると、誰かが差したのであろう、“おかえり 10/1 金山町”と記された小旗が歓迎してくれていた。

 

 

列車は、細越拱橋(8連コンクリートアーチ橋)を渡り、金山町から三島町に入った。

 

早戸を出た列車は、早戸・滝原の二つトンネルを潜り抜け、「第三只見川橋梁」を渡った。

 

会津宮下を出た列車は、「第二只見川橋梁」を渡った。

 

会津西方を出発後、列車は名入トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡った。

 

列車はこの後、会津桧原を出て滝谷手前の滝谷川橋梁を渡り柳津町に、郷戸会津柳津を経て会津坂本から会津坂下町に入った。

その後、七折峠に入った列車は、今朝停止した場所を何無く通過し、塔寺を出て、すっかり陽が落ちた会津盆地に入り、会津坂下に停車した。  

会津坂下で30分ほど時間調整した列車は、若宮を出て会津美里町に入り、新鶴根岸会津高田を経て、会津本郷手前で会津若松市入りし、西若松七日町の各駅で停発車を繰り返した。

 

 

 

今日から、会津若松~只見間がワンマン運転となったことで、主要駅以外は運転席後ろの扉からの降車となり、駅に停車する都度、運転手も『降り口は...』と車内放送を入れていた。乗降口の天井のディスプレイには運賃表も表示され、録音された音声案内とともに、ワンマン運転に変わったことを実感した。

 

 

19:03、列車は終点の会津若松に到着した。多くの客が降り、ホームは混雑した。

今日は始発列車の運行休止というトラブルに遭遇してしまったが、只見駅周辺の歓迎の歓声の中に身を置き、また運休していた区間の風景を車窓から見られ、只見線全線運転再開日は充実し忘れられない旅になった。

 

 

今回、13年振りに会津川口~只見間27.6kmを列車に乗って移動したが、当該区間に沿う国道252号線を何度も自転車で走ったり、沿線の会津百名山に登ったりしていた事で、車窓から見える景色をより良く見る事ができた。また、この景色によって国内外の旅行者から広く認められ、只見線は“観光鉄道「山の只見線」”になり得ると確信した。そして、上下分離(官有民営)方式で維持費用を負担する福島県と沿線を会津17市町村に投資効果という果実をもたらすまでになるには、専用の観光列車(企画列車)の導入と、観光鉄道にふさわしいダイヤの設定が必要だ、と改めて思った。*下掲図出処:JTBパブリッシング「2022年10月 JTB時刻表」p616 *筆者、臨時列車を除くなど一部加工

 

専用の観光列車と観光客向けダイヤの実現にはまとまった費用が要る。今年度は2億~3億円という県予算を、只見線関連旅行商品や沿線イベントへの補助等に搬出しているとされているが、来年度も同額の費用を同じような対象に補助するのであれば、補助対象を絞り、専用の観光列車の導入と観光客向けダイヤの設定に振り替えるべきだと思う。来年度の只見線関連の予算規模は不明だが、福島県の「只見線利活用事業」が今年度で終了するとは思えず、来年度以降相応の期間、相応の金額が充てられるのではないだろうか。

福島県は、県予算のみならず国の補助金やクラウドファンディングの利用と併せて、最優先で専用の観光列車導入と観光客向けダイヤ設定を実現して欲しい。そして、この官需によって民間の投資を沿線に呼び込み、“観光鉄道「山の只見線」”を確固たるものにして欲しいと思う。

 


 

今日の、只見線全線運転再開を迎えるにあたって、地元二紙(福島民報と福島民友新聞)では、今後の課題や対策に関して、昨日まで特集を組んでいた。

福島民友新聞では、9月26日から5日間に渡り、全国の鉄道各社・路線の取り組みを挙げ、最終日には専門家の意見を掲載していた。

福島民友新聞「只見線再開通」
・9月26日付け 京都丹後鉄道(京都府)「観光鉄道 アイディアぞくぞく」民間生かす上下分離方式
・9月27日付け 青い森鉄道(青森県)「鉄路維持 重い公費負担」長期的な利活用策必要
・9月28日付け 阿佐海岸鉄道(徳島県)「観光と地域の足に」乗り継ぎなし 世界初DMV
・9月29日付け JR五能線(秋田県-青森県)「観光列車 魅力は『非日常』」沿線自治体も知恵絞る
・9月30日付け 専門家の視点 「『行きたい』を掘り起こす」外国人の視点もヒント

 

他方、福島民報では9月29日から3日間で、沿線の取り組みや住民の懸念を伝えていた。

福島民報「只見線 全線再開通 線路の行方」
・9月29日付け 「利用客どう増やす」
・9月30日付け 「経済波及 二次交通が鍵」
・10月1日付け 「周辺の環境整備で防災」

 

 

そして、今日は、社説(論説)でも只見線の今後について論じていた。

福島民報 論説『経済効果の創出に期待』
(概要)復旧後も県や会津17市町村が費用負担し維持してゆくので『相応の経済効果の創出が求められる』とし、今月と来月に只見線に乗り入れる「お座トロ展望列車」(会津鉄道)を引き合いに、只見線でも『年間を通して企画列車を導入すべきだ』と主張し、『全線再開通による経済効果を積み上げ、目に見える形で示していく必要がある』と結ぶ。

 

福島民友新聞 社説『元気な地域つくる出発点だ』
(概要)全線運転再開の今日に至るまでの地元の声や思いを挙げ、『地域が培ってきたノウハウと外部からの視点や知恵を活用しながら、圧倒的な風景にどんな魅力を加えていけるかが問われている』とし、『県などには教育旅行などでの積極的な利用を通して、地元の取り組みをしっかりと支える事が求められる』と結ぶ。

 

 

運休前、利用者数や豪雨被害後に会津川口~只見間の鉄路復旧を渋ったJR東日本の姿勢等から分かるように、只見線に関わる地域活性化や列車運行による経済効果は、運行費・維持費に見合っていなかった。

今後『只見線に年間3億円もかける必要はない』という県民世論が高まった時、また再び災害で橋梁などが甚大な被害を受け運休してしまった時、それぞれの時点で“経済効果”が少なく沿線が“元気な地域”になっていなければ、一本につながった只見線を維持する事ができなくなってしまう可能性は低くはないと私は思っている。

再び長期にわたる只見線の分断を生まないためは、運行経費の他「利活用プロジェクト」で予算を搬出する福島県を中心に、只見線がもたらす効果を具体的に継続して、県内外に周知していかなればならない。列車に何人が乗っているばかりでなく、駅に何人が降りて、何人が沿線に泊まり、いくら沿線で土産物などを購入したか等を集計する仕組みを作る必要がある。列車に乗らずにやってくる“撮り鉄”の方々の、沿線での宿泊や購買の集計も欠かせない。

これら集計には、スマホの専用アプリを開発し、乗客や“撮り鉄”にインストールしてもらい、各場面で入力してもらう。入力に応じてポイントを付け、ポイント合計で特典をプレゼントをするなどすれば利用率が上がり、精度の高い集計ができるのではないだろうか。また、乗客や“撮り鉄”のSNSへの只見線関連投稿を集計分析する事で、関係者が取り組む課題も見えてくる。

 

復旧費用の地元負担は約27億円と言われていて、仮に30年償却として年間9,000万円となり、そこに年間維持費が3億円が加わり、年間3.9億円が只見線・会津川口駅~只見駅間の維持費となる。福島県や沿線自治体を中心に、3.9億円もの新たな需要を生み出さなければならないという課題を共有し、只見線の乗客を増やし、“撮り鉄”の方々に沿線に泊まり買い物するように促し、“経済効果”を高め、沿線を“元気な地域”にしていって欲しい。 


 

開業から51年が経ち、当時目指した観光鉄道・只見線は未だ実現していないが、福島県を中心とする関係者は、今日の全線運転再開を新たなスタートとして、国内外に知られ利用される“観光鉄道「山の只見線」”にして欲しい。私も福島県民の一人として、引き続き微力ながら役に立ちたいと思っている。*下掲載記事:福島民報 1971年8月30日付け


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。  

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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