今年、会津の桜は、大雪の影響で例年より遅れると思ったが、4月に入ってからの高温で、会津若松市の鶴ヶ城公園は13日に満開となった。同じ会津平野にある会津坂下町内の桜を観ようと、宿泊地の金山町からJR只見線の列車に乗って、当地に向かった。
今日の旅程は以下の通り。
・会津川口駅から只見線の下り始発列車に乗る。
・会津坂下町の塔寺駅で降りて、輪行した自転車で会津五桜「杉の糸桜」のある醫王山薬王寺に向かい、山門越しに只見線の列車を撮る
・会津五桜「杉の糸桜」の他、薬王寺境内の桜を観る
・町内の桜を観ながら、「御禝神社」に行き、観桜
・「鶴沼緑地公園」に移動し、観桜
・「ばんげひがし公園」に移動し、観桜
・「太郎庵」工場売店と「会津中央乳業」直売所に立ち寄る
・「宮古諏訪神社」に移動し、観桜
・会津若松市に自転車で向かい、「鶴ヶ城」公園で、観桜
・会津五桜「石部桜」に移動し、観桜
・会津若松駅に向かい、帰途に就く
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の春ー
民宿「朝日屋」は二度目の利用となったが、離れの浴室は広々とし、何より地のモノを美味しく提供してくれる食事は最高で、気さくなご主人の姿も相まって“また次も利用したい”と思えた素晴らしい宿だった。
5:00、民宿「朝日屋」を出発し、国道400号線を自転車で北進。5分ほどで、会津川口駅を見下せるカーブに到着。上空は厚い雲に覆われていた。
駅頭で自転車を輪行バッグに入れ、ちょうど開錠された駅舎内に入る。売店を併設した金山町観光情報センター内では、金山町のゆるきゃら「かぼまる」がちょこんと座り、“店番”をしていた。かわいらしかった。
始発列車の出発時刻まで時間があったので、駅構内に設置されたパンフレットを見た。
只見川電源流域振興協議会が発行する「奥会津の旅」は、かねやまふれあい広場付近から撮影された大志集落の風景だった。*参考:只見川電源流域振興協議会「歳時記の郷 奥会津」URL:https://okuaizu.net/
知らなかったが、昨年9月に「奥会津だより」は「Flow」というA3判の紙面に変わり、第4号(vol.4)が置かれていた。*参考:只見川電源流域振興協議会「歳時記の郷 奥会津」 新・奥会津だより「Flow(フロウ)」Vol.1が発行になりました!(2021年9月10日) URL:https://okuaizu.net/news/115/
列車出発時刻の10分前に輪行バッグを抱え、ホームに向かった。現在は会津川口駅~只見駅間が「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で運休となっているため、この時間帯はホームの両側に始発列車(左)と二番列車(右)が並んでいるが、風景がいつもと違っていた。二番列車の後部車両が、キハ110形だった。
昨日、会津若松駅から只見線の下り始発列車に乗った際、会津坂下駅ですれ違った上り始発列車が、このキハ110形を後部車両にした編成だった。只見線の“専用車両”と言ってもいいキハE120形は8両あるが、車両の故障で代車が用意されたのだろうと思った。
ホームの先端に行き、列車を撮影。こちらは、いつもの見慣れた光景だった。
5:32、会津若松行きの始発列車が、会津川口を出発。私は後部車両に乗り込んだが、乗客は他に部活に向かう高校生が1人だった。
列車が上井草橋をくぐると、前方に大志集落が見えてきた。「奥会津の旅」の表紙の風景と大きく違うが、これも“自然”と思うと、この曇り空の下で、薄くガス掛かった風景も味わいを感じた。
会津中川を出て、「第四只見川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
早戸に停車。沼沢湖を湛える活火山・沼沢は、ガスに包まれていた。
早戸を出て、早戸トンネル、滝原トンネルを潜り抜けて「第三只見川橋梁」を渡る。上流側を見ると、界ノ沢は、白い筋をみせ勢いよく只見川に落ちていた。
宮下ダム湖(只見川)右岸に沿って、列車が走る。木々をよく見ると、鮮やかな緑の葉が出始めていた。次の乗車では、新緑が包まれたダム湖が見られるだろうかと思った。
東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムは、4門のゲートを開け勢いよく放流していた。桜並木の見ごろは来週末か、と思えるような咲き具合だった。
会津宮下が近づき、列車は減速。満開の桜の木があった。
会津西方に停車。“風坂の桜”は7分の咲き具合だった。*参考:福島県会津若松建設事務所「さくら回廊あいづ<風坂の桜>」
会津西方を出て、名入トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。上流側、駒啼瀬の渓谷の先には、「第一只見川橋梁ビューポイント」のある鉄塔が見えた。この列車を撮影している方はいるのだろうか、と思った。
下流側、杉峠と「日向倉山」(605.4m)は分厚いガスが掛かり、隠れていた。
郷戸に到着。桜は昨日より花が開いたようで、綺麗だった。“撮る人”が2人、列車にレンズを向けていた。
郷戸を出ると、まもなく前方に柳津町の市街地が現れる。桜は満開のようで、今年も国道252号線の二基の真っ赤なニールセンローゼ橋(瑞光寺橋、柳津橋)と共に、春の素晴らしい風景が見られるのだろうと思った。
“Myビューポイント”で振り返るが、会津百名山86座「飯谷山」(783m)はガスに覆われていた。
列車は、圓満山月光寺境内にある満開の桜の脇を通り抜けた。
福満虚空藏菩薩圓藏寺の裏の桜並木も満開だった。*参考:福島県会津建設事務所「さくら回廊あいづ<圓蔵寺裏の桜>」
会津柳津に停車。駅前の桜並木も、見事に咲いていた。今日、天気予報通り晴れれば、一層美しく見られるだろうと思った。
ただ、なぜか駅舎と駅名標の間にあった桜(ヤオタメ?)は、幹が途中から切られていた。花が目の高さにあり、良い風景を創ってくれていたので、残念だった。
6:35、七折峠内の塔寺に停車。輪行バッグを抱え、下りた。三度目の下車になる。
この列車が、次駅・会津坂下ですれ違う下り列車を撮影するため、急ぎ階段を下りて駅舎を出た。
6:37、自転車を組み立て、塔寺駅を出発。3km先の醫王山薬王寺に向かった。
国道49号線を渡り、県道43(会津坂下山都)線で塔寺地区の中を進み、途中で右折。県道365号(赤留塔寺)線に入ると、只見線の“七折越え”途中で見下ろす事ができる金属加工会社には、満開の桜が並んでいた。
6:45、醫王山薬王寺に到着。列車の通過時刻は5分後ということで、急ぎ、境内に入った。
撮影場所を決めると、まもなく列車がレールを駆る音が聞こえた。カメラを構えて待つと、会津川口行きのキハE120形が現れた。
『青空の下、桜と列車を撮りたい』と思っていたが、上空は曇り空のままだった。次に通過する列車も撮ろうと待つことにした。
薬王寺境内の桜を観て回った。
まずは、薬王寺といえば会津五桜の一つ「杉の糸桜」。*参考:福島県会津建設事務所「さくら回廊あいづ<杉の糸桜【会津五桜】>」/NHK「新日本風土記」 動画で見るニッポンみちしる~会津の五桜 春を彩る桜の名木 *2014年放送
蕾も多く、まだ咲き始めだった。
他、境内の桜は満開だった。
六地蔵堂の脇に立つ「薬王寺八重」は見事だった。
次の列車の通過時刻は8時15分頃。時間があるので、坂下厚生総合病院近くのコンビニ買い物に行った。薬王寺に戻る途中で、雲が切れ始め、陽光が注いできた。
杉第二踏切を渡る時、会津坂下駅方面に目を向けると、地表から水蒸気が立ち上り、幻想的な光景が見られた。
薬王寺に戻り、境内の桜を観ると、陽光を浴びより綺麗に見えた。
陽に照らされた桜は、やはり美しいと思った。
列車の通過時刻が近づき、まずは、上り列車の通過する風景を撮ろうと、再び薬王寺を離れ、杉第二踏切の脇に立った。
8:16、七折峠から下ってきた列車が現れ、シャッターを切った。今朝、会津川口駅で見た、後部車両がキハ110形の編成だった。
続いて、この列車が会津坂下駅ですれ違いを行う、下り列車を撮るために薬王寺境内に戻った。
まもなく列車の警笛が聞こえ、遠方のレールにカメラを向け、ズームにして待っているとキハE120形がこちらにむかってきた。
8:29、七折登坂に向かうためディーゼルエンジンの出力を上げた列車が現れた。先頭車両が木々などに隠れないタイミングでシャッターを切った。陽光を浴びた桜と列車が撮れ、満足できる一枚になった。
8:36、列車の撮影を無事に終え、会津坂下町々内の観桜行軍を開始。
杉街道(町道)を進むと、真北、七折峠の向こうに、冠雪した飯豊連峰の稜線がくっきりと見えた。
少し東に目を向けると、会津百名山28座「飯森山」(1,595.4m)から32座「栂峰」(1,541.3m)、大峠(1,200m)へと続く山稜が、うっすらと見えた。
南には、伊佐須美神社最後の山岳遷座地である、会津百名山61座「明神ヶ岳」(1,074m)が見えた。
そして、進行方向である東には、雲から突き出た会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)の山頂付近が、逆光で朧げに見えた。
市街地に入ると、方々に満開の桜が見られた。
坂下厚生総合病院跡の、小さな桜並木。
坂下南小学校、校舎裏の一本桜。
今春、県立大沼高校と統合し会津西稜高校となり、閉校となった県立坂下高校にも桜。
今まで多くの生徒達が仰ぎ見たであろう、正面玄関前の桜。今春から、寂しく咲き誇るのだろうかと思うと、残念だった。
坂下高校跡から引き返し、中村街道踏切から会津坂下駅のホームを見ると、その先にも桜があった。
会津坂下駅前には、小さな丈の桜の木が立ち、満開だった。
原街道踏切の桜。中村街道踏切から見えた桜は大きく、立派な咲きっぷりだった。
この中村街道踏切のそば、県立会津農林高校の正門脇に桜があった。青空に映え、美しかった。
「豊國」「學十郎」「豊久仁」の豊国酒造合資会社。
そして、「天明」「一生青春」の曙酒造合資会社。*参考:渡辺宗太商店「蔵元紹介」曙酒造
これら3つの蔵元に取り囲まれるように、「五ノ井酒店」がある。会津の酒を中心に、福島県内の名酒が手に入る店だ。
9:00、観桜の行軍を再開。
県道22号線を進み、国道49号線の手前で右折し、「御禝神社」に行く。
今日は地域の廃品回収日のようで、住民の出入りが激しく賑わっていたが、驚いたのは桜ではなく、巨木。“御禝神社の大ケヤキ”というが、町のホームページなどに情報が無い事もあり知らなかった。これだけ見事な巨木が、只見線会津坂下駅から徒歩圏内にも関わらず、広く知らされていないのはもったいないと思った。
肝心の桜。大ケヤキに比べ小さく感覚が一時狂ってしまったが、神社の佇まいに合ってなかなか良かった。
桜越しの柔らかい陽光が差し、良い雰囲気だった。
次は、「鶴沼緑地公園」に向かった。
県道22号線から国道49号線に入り、旧宮川手前で左折し、賑やかなテニスコートやグランドゴルフ場の先に、見事な桜並木があった。
桜並木は約1km続いていて、地元有志が植えたという。冠雪した飯豊連峰と一緒に見ると、ダイナミックで素晴らしい景観だった。
桜は満開。良い日に訪れる事が出来たことを、嬉しく思った。
テニスコート裏(東側)に点在する桜は、悠々と枝を広げていた。
幹に近づき見上げると、青空を背景に、見事な咲きっぷりが見られた。
飯豊連峰を背景に、桜を眺めた。冠雪の山と桜、良い構図だった。
「鶴沼緑地公園」を後にして、国道49号線の鶴沼橋から上流側、テニスコート裏の桜を眺めた。飯豊連峰の山肌が良く見え、また違った光景だった。
国道を渡り、鶴沼橋から下流側を眺める。旧宮川の桜並木越しに「明神ヶ岳」が見えた。
次は国道49号線を右折し、「町営ばんげひがし公園」に向かった。
野球場が見えてくると、旧宮川に均整の取れた桜並木が延びていた。
南端に行き、並木を眺めた。ここは両岸に立ち並び、「鶴沼緑地公園」とは違った美しさがあった。
満開の桜並木。花見をしながら酒を呑んだら、さぞ旨いだろうと思ったが、自転車なのであきらめた。
この桜並木を背にすると、小さな墓地に4本の桜の木があり、「明神ヶ岳」と一緒に見える眺めが良かった。
球場の周りにも、桜があった。
まだ、小さな桜だったが、花びらは遜色なかった。「磐梯山」と一緒に見ると、会津の桜であることが実感できた。
公園には家族連れが多く見られ、子供たちが遊具で遊んでいた。
多様な山々や桜が咲き誇るこの美しい風景のもと、遊んだり散歩している子供たちの姿が、いつまでも見られる世の中であって欲しいと、思った。
工場売店の外観。店内は賑わっていた。菓子の種類が多く、何にするか迷った。
結果、「太郎庵」を代表するお菓子「会津の天神さま」のラムレーズンといちごミルクを選んだ。昼食後に食べたが、柔らかく滑らかなブッセ生地に挟まれたクリームは、香り良く、程よい甘さだった。“会津の定番菓子”と言われるだけの完成度だと思った。
店内に入りヨーグルトやアイスを見るが、“べこの乳”のソフトクリームを選び、前庭で食べた。しっかり濃厚、まろやかな口当たりで、牛乳工場直営店の期待にそぐわぬ旨さだった。
10:37、観桜の行軍を再開。
国道49号線を進みと、満開の一本桜が何度も見られた。北側には冠雪した飯豊連峰があり、一本桜との構図は、美しかった。
満開の桜が、盛り上がって見えた。
「宮古諏訪神社」境内全体を覆う、桜の巨木に圧倒された。
境内の南東には河津桜もあり、ソメイヨシノとの競演は美しかった。
石段を下りると、桜に包まれている感じがして、気持ち良かった。
見上げると、青空に映える満開の桜に感嘆した。
国道沿いの公園に移動し、境内を見下ろすと、奥行きのある桜の咲きっぷりに圧倒された。
この国道沿いの公園からは「磐梯山」も見え、桜との構図も良かった。
「宮古諏訪神社」を後にして、国道49号線の大川(阿賀川)に架かる宮古橋上から境内の桜と飯豊連峰を一緒に眺めた。素晴らしい、春の景色だった。
会津坂下町での、観桜の行軍が無事に終わった。
予定していた、町内の主な桜の名所を見る事ができた。 「杉の糸桜」が咲き始めということで残念だったが、 「鶴沼緑地公園」と「ばんげひがし公園」の桜並木は、木丈は低かったものの中々見応えで、冠雪し稜線をくっきりと見せた飯豊連峰と一緒に見られた事は幸運だった。さらに、“桜の森”ともいえる「宮古諏訪神社」の咲きっぷりは圧巻で、県内屈指の桜の名所ではないかと思った。
「御禝神社」や「鶴沼緑地公園」、「ばんげひがし公園」は会津坂下駅から徒歩圏で、「杉の糸桜」と「宮古諏訪神社」少し遠いが、道が平坦なので自転車でも無理なく見られる。今回は、行く事ができなかったが、「立木観音」が「金塔山 恵隆寺」の桜も“自転車圏内”だ。*現在、会津坂下駅やその周辺にレンタルサイクルのサービスは無い。
会津坂下町内には、多様で魅力的な桜が多く、只見線を利用した春の旅はお勧めだと思った。町内には、3つの酒蔵や、馬肉を提供する店舗、冷やしラーメン店など飲食の魅力もある。これらスポットは市街地に密集しているので、会津坂下駅から徒歩でも楽しめる。
会津坂下町の桜の良さが周知され、一人でも多くの方が、只見線を利用して訪れて欲しい。
10:57、宮古橋を渡り、会津坂下町から湯川村に入った。
さらに直進し、国道49号線から県道33号(会津坂下河東)線に入り、しばらく進んでから右折。県道326号(浜崎高野会津若松)線を会津若松方面に進んだ。東(左)側から会津百名山89座「奴田山(青木山)」(723.3m)、同36座「大戸岳」(1,415.9m)の山塊、同41座「小野岳」(1,383.4m)の山並みが見えた。
11:28、七日町通りに入る。観光客の姿が少なかったのは残念だったが、新型コロナウィルスの影響が落ち着き始めているので、徐々に客足が戻って欲しいと思った。
神明通りに入ると、アーケードに人通りはなく、通りを行き交う車が多かった。
北出丸大通り入り進んでゆくと、桜並木の通りの向こうに「鶴ヶ城」が見えた。
北出丸から本丸を目指すと、人、車ともに同じ方向に流れていた。
椿坂(横手坂)に到着し、自転車を駐輪場に置いた。
今年も新型コロナウィルスの影響で、レジャーシートを敷いての花見は自粛となっていた。
11:48、「鶴ヶ城」に到着。城内は観桜客であふれ、桜は満開だった。
対面所跡の北側では「會津十楽」が開催されていた。観光地らしい賑わいで、嬉しくなった。
「會津十楽」に訪れた客は、南蛮風の屋台を見て回り、テーブルや椅子が置かれた芝生広場で休んでいた。
本丸東側の高石垣に登った。
赤瓦の天守閣が、桜越しに綺麗に見えた。
北に目を向けると、鮮やかの朱色の廊下橋と桜が一緒に見え、こちらも綺麗だった。
堀と桜の相性も良かった。
二の丸に並ぶ桜も見事だった。背後にそびえる「奴田山(青木山)」の稜線が良く見えた。
高石垣上にある茶壷櫓や月見櫓には多くの観桜客が居て、天守閣に向けてシャッターを切っていた。
位置によって、城と桜の見え方が違い、一日中撮っていられると思った。
高石垣から降り、本丸内を歩いた。
鉄門を潜り、帯廊に出る。一面、桜だった。
桜越しに天守閣を見上げる。見事な眺めで、しばらく見続けた。良い日和に桜満開の「鶴ヶ城」に訪れる事ができたことを感謝し、また、訪れようと思った。
「鶴ヶ城」を後にして、今日最後の“桜”となる、「石部桜」に向かう。
県道64号(会津若松裏磐梯)線から白河街道に入ると、“石部桜駐車場”と書かれた立て看板が見えた。
滝沢の交差点を左折し、飯盛山通りを進み、警備員が立つ路地に入り、未舗装道の入口に自転車を停め歩いた。
150m程進むと、田んぼの向こうに桜が見えた。
12:41、「石部桜」に到着。NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像に使われた、600歳超える老木は見事に咲き誇っていた。
頬杖支柱の助けを借りながらも、長きにわたり花を咲かせ続ける、生命力に感服した。
矩形の支柱は、横に張り出した幹を支え、味のあるトンネルになっていた。
南面は一部葉桜になってはいたが、まだ見頃だった。良い日に、「石部桜」を見られて良かったと思った。*参考:福島県会津若松建設事務所「さくら回廊<石部桜【会津五桜】>」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41340a/www-wakamatsu-kensetsu143.html
昭和43年9月18日指定
市指定天然記念物 石部桜
会津若松市一箕町大字八幡字石部
樹齢約六百年と推定されるエドヒガンで、樹高11メートル、枝張19メートル、胸高周囲0.5メートルから2.2メートルの十本の幹から成る。
当時、この付近は領主葦名家の重臣石部氏の屋敷で、その庭にあったとの伝承から「石部桜」と名づけられた。
江戸時代から名木として知られており、花が満開の時期には、藩主をはじめ多くの人が訪れた。
また、五代藩主松平容頌は、桜を保護するために周囲に柵をめぐらせており、その様子が幕末に描かれた城下絵図に描かれている。
平成25年2月 会津若松市教育委員会
「石部桜」を後にするが、桜越しに飯盛山(372m)が見えた。この山で自決した白虎隊士も、この桜を観たのだろうかと思った。
12:59、今日の観桜の予定を終え、会津若松駅に到着。
輪行バッグに自転車を収め、駅ナカのコンビニで昼食を調達し、改札を通るとその脇に桜の造花が飾られ、“ぽぽべぇ”なる袴を着た赤べこのパネルが置かれていた。JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクターと説明書きがされていた。
会津のみならず、福島県を象徴するキャラクターの赤べこは、今では様々な姿が見られファンを広げているが、この“ぽぽべぇ”は愛嬌があり人気が出ると思った。
1番ホームに、郡山行きの快速あいづが入線。今春のダイヤ改正で快速あいづは、観光客に対応するため全て4両編成になった。
13:30、快速あいづ4号が発車。車内は、4両編成ということもあり余裕があった。以前の2両編成だったら、100%をはるかに超えていただろう客数ということで、4両編成にしたことは正解だったと思った。
猪苗代手前で、車窓から正面に「磐梯山」を眺めた。
快速あいづは、無事に郡山に到着。その後、磐越東線のいわき行きの列車に乗り換え。船引を過ぎると車内がすいてきたので、日本酒を呑む事にした。㈱髙橋庄作酒造店(会津若松市門田町)の、「会津娘」純米酒。思いのほかコクがあり、香りも立ちながら飲み口は純米酒ならではでサッパリしていた。旨い酒だった。
磐越東線は、途中阿武隈山地の山間を走るということで、車窓から見える桜はまだ見頃だった。夏井川千本桜は、見事な桜並木が続いた。 *参考:小野町「夏井川千本桜」 URL:https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/7/sakura-natsui.html
山肌にも、山桜が残り、早緑との競演が美しかった。車窓の風景が良いと、酒は進み、2合近く呑んでしまった。
いわきに到着後、常磐線の列車に乗り換え。久ノ浜手前から広野手前で海が間近に見られたが、やや荒れていた。
17:29、富岡に到着。無事に1泊2日の只見線の旅が終わった。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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