会津坂下町「秋の実り」 2017年 秋

黄金に色づいた会津盆地で稲刈りが始まったと知り、JR只見線の列車に乗り会津坂下町に向かった。

 

紅葉に気を取られ、シーズン前に会津盆地が稲穂で色づく事を忘れていた。そんな中、10月3日の地元紙・福島民報の社会面に“黄金に輝く会津盆地”との記事があった。

 

まだ見たことがなかった会津盆地の秋の絶景を見たいと思い、天気も良い事もあり休日の今日、急きょ出掛ける事にした。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」(PDF) (2013年5月22日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

 

 


 

 

磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かう。地と天の明るさの違いに秋を感じた。

5:55、会津若松行きの列車は定刻に出発。

 

切符は平日ということもあり、「Wきっぷ」を利用。

 

中山峠を越え、会津に入る。雲は多く、「磐梯山」の山頂付近にはねずみ色の雲が垂れこめていた。

 

 

 

定時をわずかに遅れ、会津若松に到着。上空はキレイに晴れ、秋の青空が広がっていた。

  

券売機で切符を購入し、自動改札を通り、只見線の4番線に向かう。連絡橋から、只見線のホームに停車している列車を見下ろすと、右奥の「磐梯山」には雲が掛かったままだった。

7:37、会津川口行きの列車は定刻に会津若松を出発。

  

 

七日町西若松を過ぎると、大川(阿賀川)を渡河した。

   

列車は、直後に田園の中を走り、会津本郷を出発後に会津美里町に入ってゆく。

  

刈田は3~4割ほどで、会津高田から北に延びる線路の脇には倒伏した畝も見られた。

 

秋の陽に照らされ輝きを増した稲穂が視覚いっぱいに広がる様は、美しさとともに日本人のエネルギーの源を感じさせてくれた。

会津が中世から江戸末期まで強国であり続け、戊辰役で西軍大将・西郷隆盛が江戸無血開城後に革命成就の標的を会津(鶴ヶ城)に切り替えたその根拠がこの盆地一面に広がる“黄金”なのだったと納得できる景観でもある。

 

 

列車は根岸新鶴を経て、若宮をから会津坂下町に入り会津坂下に到着。ここで乗客の9割を占めていた県立坂下、県立会津農林の高校生達が列車を降りると、私の乗る二両目は他に一人の客だけとなった。只見線の現実を突きつけられた。

   

会津坂下を出発すると、短い田園区間を走り抜け、キハ40形はディーゼエンジンを蒸かし、七折峠に向ってゆく。右側の車窓、木々の切れ間から時々会津盆地を見下ろしながら、列車は勾配を駆け上がった。

  

 

 

  

 

8:33、峠の中にある塔寺に到着。会津坂下町にある無人駅。初めて降りる。町内に只見線の駅は4つ。若宮、会津坂下、塔駅、そして会津坂本だ。


駅舎は、近くに二つの重文があるからなのか、木造の落ち着いた造りになっている。

   

私を降ろした列車は、再び重いディーゼル音を山中に響かせ、緩やかな坂を上っていった。塔寺駅が峠の途上にある事が分かった。

 

駅舎に入る扉には“熊 出没注意”の張り紙があった。一瞬だが寒気がした。

   

待合室の中は明るく、清潔感があった。

  

ホームから出入口までは、階段が設けられていた。塔寺駅は傾斜に建てられた駅舎だ。

 

 

塔寺駅から、まずは国の重要文化財がある恵隆寺に向かう。

今回は只見線沿いに会津坂下町内を広範囲に移動するため自転車を使う事にした。さっそく、バッグから折り畳み自転車を取り出し組み立て、出発。

    

長い坂を下り、国道49号線を渡り、町道から旧国道(越後街道)に入る。旧国道である県道43号(会津坂下山都)線との分岐には“これより左柳津”と記された石柱があった。

  

塔寺駅を出発して約5分、「金塔山 恵隆寺」に到着。

 

恵隆寺観音堂」と“立木観音像”と呼ばれている「木造千手観音立像」は国の重要文化財になっていて、「恵隆寺」は“立木観音”として日本遺産(会津三十三観音)にもなっている。

 

正門(仁王門)をくぐり、観音堂に向かう。

   

観音堂が建立された建久元年(1190年)に植えられたという大銀杏越しに、その御堂を見る。

 

この中に、国内最大規模の木造観音立像である“立木観音像”が安置されているというが、正直想像できなかった。

 

9時の拝観開始を待ち中に入ると、高さ8.5m、国内随一の一本木の観音様に、私は圧倒された。内部が狭いために、一層その大きさを感じてしまう面もあるかもしれないが、それを差し引いても見ごたえ十分。両側に使える眷属の二十八部衆にもそれぞれ表情があり、じっくり時間をかけ見て居たい衝動に駆られる。さすが国の重文、日本遺産、と唸った。次の機会では、時間をかけ、ゆっくり参拝させていただきたいと思った。 

  

「立木観音」の西隣には心清水八幡宮(塔寺八幡宮)があり、社内に保存されている「塔寺八幡宮長帳」と「鰐口」は国の重要文化財に指定されている。

  


 

敷地を接する東隣りには、これまた重文の「旧五十嵐家住宅」がある。

 

移築・改修された建物ではあるが、茅葺屋根の質感は“日本むかし話”にでてきそうな佇まいで、歴史の重みを十分に感じさせてくれた。

 

茅葺屋根の厚みは、家の主の立場を象徴するものなのか、積雪に耐えうる為に必要なものなのか。

「旧五十嵐家住宅」は福島県の重要文化財であったが、移築復元工事の際に建築年(1729年)を示す墨書が発見され、国の重要文化財に格上げされたという。

 

 

 

「立木観音」と「旧五十嵐家住宅」は高台にあり、東側には黄金に色づいた会津盆地が秋空に広がっていた。

 

ここから、田園を走る只見線の列車を撮影するために南へ移動。向かうのは約6km先にある若宮駅。

  

  

会津坂下駅、県立会津農林高校の脇を通り過ぎ、田園に入る。西部山麓の上空を見上げると、綺麗な巻層雲が見られた。

   

30分ほどで只見線の若宮駅に到着。小さな集落にある無人駅。周辺は稲刈りが終わっていた。

 

黄金色の稲と只見線の列車を一緒に撮りたいと思い、近くの農道をぶらつき、『ここ』と思った場所でカメラを構える。 

 

9:57、レールを通過する列車の音が聞こえ始めた。すると間もなく、視界に会津若松行きのキハ40形が現れた。

 

列車は、目の前の稲穂の上を進んでいった。

二種の緑と白の三色(JR東日本㈱東北地域本社色)のキハ40形は、会津の四季の自然美に映える。この車体色だから、列車をおさめた写真は“絵”になり、多くの撮り鉄諸氏を惹きつけるのだ、と思った。

列車の撮影が終わった後、再び西部山麓を見上げると、畦道の“緑の一本道”が黄金色の稲田の間を伸びてゆく光景に出くわした。この時期に、会津盆地が見せる光景の素晴らしさに感動してしまった。

  

 

会津坂下町の中心部に向かって、再び移動を開始。

刈り取られ、脱穀された稲が“三角帽子”として並ぶ田も見られた。

  

約20分で、会津坂下町の中心部を東西に貫く県道22号(会津坂下会津高田)線に入る。町役場の東側、この道の両側のごく狭いエリアには、三つの酒造所がある。

   

“プレミアム”日本酒の先駆けともいえる「飛露喜」を世に出した廣木酒造。

 

全国新酒鑑評会で9年連続金賞受賞を誇る豊國酒造

 

平成28酒造年度の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した「一生青春」の曙酒造

 

 

それぞれの蔵で四合瓶を買おうと思ったが、廣木酒造の「泉川」は四合瓶の製造をしておらず、豊國酒造では販売時間外で曙酒造は販売している場所が分からず、断念。そこで、この酒造所群のほぼ中心にある「五ノ井酒店」で二本の四合瓶を購入。豊國酒造の「豊國」と曙酒造の「天明」。どちらも純米吟醸にした。帰宅後の楽しみができた。


 

会津坂下駅に移動し、駅前の公園で昼食を摂る事にした。

 

すり寄ってくる野良猫の相手をしながら、食べ終えた。

11:42、腹を落ち着かせた後、再び移動を開始。

 

只見線の踏切を渡り、再び田園の中を進んだ。県道365号(赤留塔寺)線に入る手前に「春日八郎記念公園・おもいで館」があった。

演歌歌手・春日八郎は会津坂下町の出身。公園には名曲「別れの一本杉」の歌碑があり、館内には愛用のピアノやステージ衣装、楽譜などが展示されているという。今回は時間が無く立ち寄れなかったが、また次の機会に「お富さん」を聞いてから訪れたい。

 

  

ここから県道365号線(通称:会津まほろば街道)を進み、お隣の会津美里町にある蓋沼森林公園に向かう。黄金色に染まった会津盆地を走る只見線の列車を見て、撮るためだ。

  

12:14、ひたすらペダルをこぎ、会津美里町に入る。

  

雀林地区では天日干しされた稲が見られた。自然乾燥はコメの旨みが増すという。一度は食べてみたいと思った。

   

12:47、蓋沼森林公園入口に到着。ここから登坂を始める。急な坂を、ほとんど自転車を押しながら、列車の通過時間に間に合うように急ぎ足で進んだ。

  

13:12、蓋沼森林公園のゲート前に到着。ここに自転車を停め、撮影場所に移動した。今年の5月にここを訪れた際、一番良い場所と思っていた場所だ。

 

茂みの中にできた“道”を進むと、まもなく先が開けた。

  

今日は平日ということもあり、誰一人居なかった。目の前に広がる絶景を独り占めし、会津川口行きの下り列車の通過を待った。

  

13:28、微かに列車が走る音が聞こえ、右(南)の方に目を凝らすと、会津高田駅を出発した、2両編成のキハ40形が見えた。

 

カメラをズームにして撮影。

 

そして、ズームを解除して、“磐梯山+会津盆地+列車”の1枚を撮った。

 

カメラを縦にし、再びズームして撮ってみる。

コンパクトデジタルカメラの限界だが、何とか“秋の実り”を実感できる只見線の写真が撮れた。

  

撮影を終え、急ぎ自転車に戻り、山を下る。さきほど撮影した列車が会津坂下駅ですれ違う、会津若松行きの上り列車を間近で撮影するためだ。 

 

対向車に注意しながら、5分ほどで山を下りきる。県道365号線から境野地区に通じる町道に入り、真っすぐに伸びた道を進む。ほぼ正面に見える「磐梯山」は、山頂まで稜線が見えていた。空は澄んだ青空が広がり、黄金色の稲田と美しい絵を構成していた

 

町道に設けられた雀林踏切の手前で田んぼ道に入り、撮影場所を決めてカメラを構え構図を探った。  

14:00、列車が通過し、シャッターを切った。想定外の三両編成で、全体が収まらなかった。

やはり、素人はこういう初歩的なミスをしてしまうと笑ってしまった。

   

全ての予定を終えを終えた。

会津盆地の“秋の実り”を只見線の内と外から愉しむ事ができ、来てよかったと思った。稲穂が色づき稲刈りが始まるまでが最良の景観だと思いがちだが、刈り採られる直前の首を垂れた稲穂が広がる瞬間は見るにせよ撮るにせよ悪くはないと感じた。

  

ここから会津若松駅まで自転車で向かう。

正面に「磐梯山」を見ながら、秋の爽やかな空気を全身に受け、ペダルをこぎ続けた。 

 

20分ほどで大川(阿賀川)を渡る。何とか列車に間に合いそうだと思った。

   

  

14:45、会津若松駅に到着。さっそく自転車を折り畳み、改札に向かった。

15:05、郡山行きの列車は定刻に出発。

   

 

16:19、郡山に到着。上空は雲一つない青空が広がっていた。

   

...帰宅後、手に入れた日本酒を呑む。どちらも純米吟醸という事で、まろやかで深みある味とワインを思わせる甘い香りが立った。

 

曙酒造の「天明」は、濃厚な味わいながら軽やかな香りを楽しめた。

 

豊國酒造の「豊國」は、純米酒のさっぱり感とそれとは違う(吟醸酒の)深みがあり、厚みのある香りが残った。

 

今回、廣木酒造の「泉川」を呑む事ができず残念だったが、この豊國酒造と曙酒造の作品を呑み、会津坂下町の酒造所の実力の大きさを痛感した。次に訪れる機会があったら、地元で消費されてしまうという「泉川」を手に入れ、この思いを確信に変えたいと思った。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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