柳津町「柳津温泉スキー場」跡 2021年 紅葉

2013(平成26)年3月から休止し、スキー場としての役目を終えた「柳津温泉スキー場」。現在、土地利用について様々な検討がなされているが、利活用法は定まっていない。JR只見線・会津柳津駅の正面に位置し、徒歩圏という好立地の「柳津温泉スキー場」跡に訪れ、自分なりの利活用法を考えたいと、現地を訪れた。


「柳津温泉スキー場」は、柳津町「議会だより」によると1979(昭和54)年12月に開設し、2013(平成26)年3月から休止し現在に至っている。スキー場の土地は借地で、小巻共有管理会から1964(昭和39)年に牧野として借用を開始し、1979(昭和54)年からスキー場として賃貸契約。そして2015(平成27)年4月から2019(平成31)年3月まで契約を延長し、レストハウスやリフトの解体・撤去、ゲレンデ部分への樹木の植林などが検討されていた。スキー場としての賃貸契約では、『(スキー場として営業を休止したならば)原形に戻す』との規定があったため、スキー場以外で利用を継続したい町と地権者(小巻共有管理会)との交渉は簡単ではないようだ。

2019年4月以降の賃貸契約についての詳細は不明だが、今年6月の柳津町議会では、柳津スキー場が「越後三山只見国定公園」に編入される事を見込み賃貸契約が更新されたか、『県と協議したなかでも、ユキツバキ等の動植物に関して調査をしている。自然公園の中の景色の1つとして活用してゆきいたい』旨の町地域振興課長の答弁概要が記載されていた。*参考:福島県柳津町「令和3年 議会議事録」URL:https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/docs/2021060800018/ *下掲記事出処:2021年10月30日付け 福島民友新聞、福島民報 紙面より

 

「柳津温泉スキー場」跡の利用法について、未だ定まっていないようだが、只見線会津柳津駅から徒歩圏で、日本三所の虚空蔵菩薩「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」の門前として栄えた歴史的背景や、只見川の河底平野が見渡せるロケーションは、“観光鉄道「山の只見線」”の魅力的なコンテンツだと思う。利活用法次第では、観光客を惹きつけ、柳津町の魅力を高めるのではないだろうか。

 

今日は、実際に「柳津温泉スキー場」跡に行き、ゲレンデに立ち、自分なりの利活用法を考えたいと思った。 

会津柳津駅から「柳津温泉スキー場」のレストハウスまでは約4kmだが、小椿地区からゲレンデまでの道の状態が不明で、最悪、立入禁止になっている可能性もあり、現地に行けるかどうか不安もあった。ただ、無駄足になっても温泉に浸かってゆっくりすればよい、と思い、宿泊地の只見町から只見線を利用して「柳津温泉スキー場」跡に向かった。

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

 ・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

 ・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

 ・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

 

 


 

  

今朝、只見町は曇り、霧も出ていた。6時過ぎに起きて、宿の2階の窓から外を見ると、車が往来する音も聞こえず、静かな朝だった。 

 

只見駅発の代行バス始発便に乗るため、女将さんから朝食のおにぎりを受け取り、「民宿しばくら」を後にした。

「民宿しばくら」は、工事関係者などのビジネス客が多いといい、民宿ということで住人の生活感が感じられる事もあってか、飾らぬ“自分の家”のような宿だった。女将さんの明るく気さくな応対も落ち着けた。「民宿しばくら」は、只見川や伊南川にやってきた釣り人も多く訪れるといい、食堂には魚拓や魚の写真も飾られていた。只見町に釣りに来ることがあったら、また利用したいと思った。 

  

自転車で5分ほどで只見駅に到着。駅舎背後にある会津百名山・只見四名山「要害山」は、すっぽりと霧に包まれていた。*参考:只見町「只見四名山」要害山 URL:https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/officiallyopen-2015/yougai.html

 

輪行バッグに自転車を収納し、しばらく待っていると、ラッピングされた代行バスがやってきた。二人の客に続いて、輪行バッグを抱え、私も乗り込んだ。

7:10、会津川口行きの代行バスは、客3名を乗せて只見を出発。

   

代行バスは只見線沿いに沿って延びる国道252号線に入り、会津蒲生会津塩沢を経て金山町に入り、会津横田で1人の客を乗せ、会津越川本名と進んでいった。

 

8:00、会津川口に到着。ここも、上空には雲が広がり、曇っていた。

   

駅舎に入り、列車の出発まで時間があるので、朝食を摂る事にした。「民宿しばくら」で作ってもらったおにぎり弁当を開けると、二つの大きな握り飯と、焼き鮭と厚焼き玉子、ウィンナーが入っていた。握り飯は、梅とタラコの具入りだった。全て旨かった。

   

朝食を終え、他の客が移動する音を聞いたので、私もホームに向かった。キハE120形2両編成が静かにディーゼルエンジンを鳴らして待っていた。

  

只見側にある転車台の方を見ると、複数の作業員が居て、何か打ち合わせをしているようだった。

 

明日から始まる、木製枕木をコンクリート製に交換する「設備強化工事」の準備だろうと思った。*参考:国土交通省 運輸安全委員会「軌間拡大による列車脱線事故の防止に係る意見について」(PDF)(2018年6月28日)

   

輪行バッグを抱え先頭車両に乗り込むと、列車には既に20名ほどの客がいた。トイレの壁には沿線の観光地が載った「沿線マップ」や...、 

 

...「乗務員の只見線おすすめスポット」のポスターが貼られていた。“観光鉄道「山の只見線」”を象徴するスポットだった。来年度中の11年ぶりとなる全線再開通に向けて、機運の盛り上げのための掲示物が増えているようだ。

この取り組みは素晴らしいが、只見線が観光鉄道の“成功者”として参考にしている、JR五能線(「の五能線」)関連Web「JR五能線の乗務員が厳選 各駅停車のススメ」(PDF)を参考に、只見線ポータルサイトにコーナーを作って欲しい。

  

 

8:41、会津若松行きの列車が会津川口を出発。林道上井草橋を潜り抜けると、前方に大志集落が見えてきた。只見川(ダム湖)の水面には波があり水鏡が無く、周囲の景色も陽光が足りず少し沈み気味だったが、大志集落の景観の良さは感じられた。*ダムは東北電力㈱上田発電所・上田ダムのもの

 

  

会津中川を出ると橋梁区間になり、まずは「第四只見川橋梁」を渡る。列車は渡河直前に減速した。車内放送は無かったが、“観光減車”と思われた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  

会津水沼を経て、「細越拱橋」(8連コンクリートアーチ橋)を渡る。「細越拱橋」を含む只見線内の橋梁16基と、六十里越トンネルは先々月に土木学会の土木遺産の認定を受けた。*参考:(公社)土木学会 推奨土木遺産「只見線鉄道施設群

 

*下掲記事出処:2021年9月29日付け 福島民友新聞、福島民報 紙面より

 

 

三島町に入り、国道252号線の三島大橋を潜ると、船着き場越しに和舟が見えた。 

 

コンデジをズームしてみると、船頭に4人の客が乗っていた。

この渡し船は“霧幻峡の渡し”と言われていて、早戸駅近くにも船着き場が整備されている。この時期は、只見川に霧が発生する確率は低く、渡し船が霧の中を航行される事は無い。客が、“霧幻峡の渡し”をPRするポスターなどを見て川面一面を覆う川霧を期待したのか、紅葉の中をのんびり進む和船に乗る事を期待したのか不明だが、前者を理由に乗船したのであれば残念だったと思う。

私は、“霧幻峡の渡し”に行政などの補助が入っているいるのならば、乗船時期や時間帯の周知法を変え、渓谷や渡し船自体の名称変更にまで踏み込んだ検討をしたほうがよい、と最近思うようになってきた。只見川の川霧の発生には条件があり、夏の朝晩に出現の確立が高いと言われている。“霧幻峡”と言うからには、それを求めてやってきた一人でも多くの客が、川霧中を和舟に乗る事ができるよう、案内や集客をして欲しいと思う。

また、渓谷の名称については、地名に準拠した名が汎用性があり良いと思う。只見川がダム湖となる以前(宮下ダムは1946年に竣工)に名があったのならばそれを、無かったならば活火山・沼沢の外輪山沿いを只見川が蛇行しているということで“沼沢峡谷”が妥当ではないだろうか。“霧幻峡”や“霧幻峡の渡し”は、夏の朝晩などに川面に霧が立ち会った時の愛称とし区別することで、観光客は勘違いをせずに旅行計画を立てられ、ひいては只見線全線再開通後の10年20年にわたり愛され続ける名所になるのではないだろうか。*参考: 産業技術総合研究所 地質調査総合センター「沼沢火山

  

 

列車は、早戸を出発し、早戸・滝原の両トンネルを潜り抜けて「第三只見川橋梁」を渡った。昨日も見た光景だが、空模様や空気、何より只見川(ダム湖)の水面の状態で見える景色が変わり、今日も違った美しさがあった。*ダムは東北電力㈱宮下発電所(水路式)の宮下ダムのもの

  

反対側の座席から自席に戻り、下流側を見る。列車は“観光減速”していたため、ゆっくりと眺める事ができた。見頃は過ぎたが、人工物がほとんど見えない風景は格別だ。

  

唯一の人工物ともいえる、国道252号線高清水スノーシェッドには、三脚に固定されたカメラの脇に立つ“撮る人”の姿があった。

   

 

列車は、東北電力㈱宮下ダムと宮下発電所の脇を通り抜け、会津宮下に停車。下り列車とすれ違いを行った。 

  

会津西方の手前で、「第二只見川橋梁」を渡る。まずは、反対側の席に移動し、下流側を眺めた。ダム湖(只見川)の水面は、ここも波打っていた。*ダムは東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

 

そして、自席に戻り上流側を眺めた。今日は上空に青空が見えて、会津百名山「三坂山」(831.9m)は全体が見えた。登山者が居れば、山頂からこの列車が見えるだろう、と思った。 

    

 

会津桧原を経て、桧の原トンネルを抜けて列車は「第一只見川橋梁」を渡った。下流側を見ると、ダム湖(只見川)周辺に広がる景色は見ごたえがあった。*ダムは東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

 

 

   

橋梁区間の〆は、滝谷直前で渡る「滝谷川橋梁」。三島町と柳津町の境になる福島県側随一の渓谷美は、ダム湖の景色を見慣れた目には新鮮に映った。 

   

郷戸を出ると、“Myビューポイント”を通過。ここから見えるはずの会津百名山「飯谷山」(783m)は、山頂付近が雲で覆われていた。

  

 

 

 

 

9:38、会津柳津に到着し、下車。列車を見送った。

 

輪行バッグを抱え、駅舎に入った。会津柳津駅は無人駅だが、 町は観光地化しようとしている。そのため、窓口があった面は大きな棚が置かれ、多くの写真が飾られていた。 

 

駅舎を抜け外に出ると、正面の赤べこのパネルの向こうに「柳津温泉スキー場」跡が見えた。只見川と河岸段丘を挟んだ、500m級の山の東面にある。

 

 

 

9:56、輪行バッグから、自転車を取り出して組み立て。「柳津温泉スキー場」跡に向かって、会津柳津駅前を出発した。

  

駅前を通る県道225号(会津柳津停車場)線を南に向い、坂を下って行くと“あわまんじゅうストリート”になり、蒸器から吐き出された蒸気の中を進んだ。「小池菓子舗」は人気店ということもあり、大量の蒸気が列を作る客を覆っていた。 

 

「いなばや菓子店」は店前に駐車場があるため通りまで届いていなかったが、「はせがわ屋菓子店」の蒸気は勢いよく噴き出ていた。

  

 

只見川に架かる県道151号(山都柳津)線の観月橋にたもとにある、きよひめ公園の駐車場から「柳津温泉スキー場」跡を見た。国道252号線の柳津橋(下路式ニールセンローゼ橋)と“やないづ赤べこ親子”の父・福太郎が収まった構図は素晴らしく、ここだけで見られる貴重なものだと思った。 *参考:柳津町 柳津観光協会「赤べこ伝説

  

観月橋を渡り柳津橋の下を潜り抜け、左折し県道342号(飯谷大巻)線の緩やかな坂を上った。途中、重厚なエンジン音が聞こえ只見川に目を向けると、SL型の観光船が瑞光寺橋(国道252号線)の下を潜ろうとするところだった。 *参考:柳津観洸船 http://yanaizu-kankosen.com/

  

坂を上ってゆくと小巻地蔵堂があり、銀杏が綺麗に色付いていた。 

 

この小巻地蔵堂を目印に右に曲がり、古峰神社の前を通り住宅の間を抜けた。

 

 

 「柳津温泉スキー場」跡に続く道は、段々に整備された田んぼの間に延びていた。

 

 

 金属製の柵に囲まれた田んぼの中を進んでゆくと、前方にゲートが見えた。

  

イノシシ被害防除のための、ワイヤーメッシュ柵のゲートだった。「柳津温泉スキー場」は民有地であるため、侵入禁止もあり得ると思ったが、このゲートは通る事が可能だった。

  

ゲートをずらし林道を進む。坂は緩やかだったが、乗用車がすれ違えるほどの幅は無かった。ただ、車両の退避スペースになるような場所は、何箇所かあった。

 

ゲートから600mほど進むと、道は砂利道に変わった。凸凹は少なく、洗堀された区間もなく、自転車でも負担なく進めた。

   

  

ゲートから1.4kmで林道分岐となり、直進しさらに上の方に進んだ。

  

分岐から100mほど進むと、前方にリフトの支柱と思われるものが見えた。

    

10:37、「柳津温泉スキー場」跡の第2ゲレンデの中腹に到着。

 

麓の様子を見たいと思い、少し歩き回ってみるが、ススキなどの雑草が邪魔していた。ここには、携帯電話のアンテナ施設が置かれていた。

 

 

林道の分岐まで引き返し、左に曲がり、緩やかな坂を下った。 

 

分岐から300mほど進むと、前方に建物が見えた。


  

林道が行きどまりとなり、「柳津温泉スキー場」跡のセンターハウスに到着。

 

センターハウスを背に、第2ゲレンデを眺めた。

   

センターハウス周辺を歩いてみる。正面玄関前には「雇用・能力開発機構委託 柳津勤労者野外活動施設」を記された看板が掲げられていた。 

 

地階となる壁の無いスペースには、板などスキー用具が置かれたままだった。

 

リフトの椅子は、綺麗に並べられていた。

 

センターハウスの南側にはバーベキューハウスと思われる建物もあった。

  

センターハウス脇は第1ゲレンデと第2ゲレンデの境になっていて、第1リフトと第2リフトの乗り換えポイントになっていた。 

 

第1リフトの終点付近には小屋があり、山頂駅と書かれた看板が掲げられていた。

 

第1リフトの下の方には中間駅の小屋があり、リフトは只見川に向かっているように見えた。この先リフトは、県道151号(山都柳津)線脇にある山麓駅に繋がっていて、スキー場を訪れた客の“入場路”に使われていたという。

   

 

センターハウスとリフトの間に管理棟があり、階段があったため上ってみた。 

 

バルコニーから麓を見ると、素晴らしい景色が見られた。北東に目を向けると只見川が延び、国道49号線の藤大橋(トラスドランガー橋、水色)が小さく見えた。藤大橋の先にある高寺山-鐘撞堂峠-七折峠の向こうに、雲が無ければ「磐梯山」が見えるという。

  

正面には、会津柳津駅周辺を見下ろせた。

 

一部屋根が掛かるが、「柳津温泉スキー場」跡からは只見線を走る列車が見られる事が分かった。

 

南に目を向けると、山間から真っ白い煙が立ち上っていた。東北電力㈱柳津西山地熱発電所からの排気だった。*参考:拙著「柳津町「柳津西山地熱発電所」2019年 紅葉」(2019年11月9日)

 

 

管理棟を降りて、センターハウス前の刈り払いされている場所の端まで行き、麓を見渡した。

 

柳津町を象徴する、柳津橋と瑞光寺橋の真っ赤な躯体と、「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」が見えた。素晴らしい光景だと思った。


「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」は側面を見下ろす事になるが、境内の雰囲気は感じられ、仁王門と鐘楼は全体が見えた。夜間にライトアップされた姿は、一層荘厳さを増すだろうと思った。

  

 

10:55、「柳津温泉スキー場」跡の第1ゲレンデを中心に見て回り、県道沿いの山麓駅に向かう事にした。 

   

林道を下る途中、列車の汽笛が聞こえた。この時間、只見線に定時列車は無いが、今日は臨時列車の「只見線全線開通50周年記念 トロッコ列車「風っこ」号」が運行されることを思い出した。

会津柳津駅の方にカメラを構え、ズームにして列車の通過を待った。まもなく2両編成の「風っこ」号が現れた。

 

列車は、月光寺(真言宗豊山派)の背後を駆け抜けると、視界から消えた。

   

 

林道を下り、県道151号線に入り、只見川左岸を北に向かって進んだ。 

 

まもなく、前方にリフトの支柱が見えた。

 

「柳津温泉スキー場」跡の山麓駅に到着。

 

落下防止の保護網は撤去されていたが、リフトの支柱やワイヤーケーブルはそのままだった。

 

ここを登ると、センターハウス周辺から見えた中間駅を経て、山頂駅にリフトは向かってゆく。

  

 山麓駅前の駐車場は、それほど広くは無かった。普通車20台程度のキャパシティーと思った。


山麓駅の近くにもスペースがあった。スキー場の駐車場に利用されていたかは分からなかった。県道から分岐し上って行く道は、スキー場に続く林道に繋がっている。

 

「柳津温泉スキー場」跡を駆け足で見て回ったが、想定通りの立地で、想像以上の眺望を持っていた。

私は、ここをキャンプ場として再開発すべきではないかと思う。駅や市街地、そして温泉からのアクセスが良いにもかかわらず、ここまで景色が得られる場所は、そうそう無いと思う。

また、先月に「柳津温泉スキー場」跡地を含むエリアが「越後三山只見国定公園」に編入された事もあり、大きな訴求力を持つ。 

キャンプ場にするためには、テントサイトを平地にする工事や、水場やトイレを適当な場所に設ける必要があるが、大きな投資にはならないのではないだろうか。トイレは仮設でも、今では広く清潔感のあるモノや、車輪のついたモノもある。水は、あまり標高が高くない事もある事から、沢水を引けるのではないだろうか。

 

テントサイトは広々した面積を確保し、キャンパーが隣客を気にせず過ごせるようにする。グランピング対応のサイトも作り、集客の幅を広げる。また、スキー場の機能も残せば、夏はグラススキーや、冬はスキーやソリなどが楽しめ、他の「キャンプ場と差別化できる施設となる。 

さらに、市街地は温泉街ということで旅館もあるので、3世代が柳津町を訪れ、おじいちゃんおばあちゃんは旅館で、子どもとその両親はキャンプサイトで、という過ごし方も可能となる。市街地には道の駅「会津柳津」や「憩の館ほっとinやないづ」という施設もあるので、その3世代が合流することも可能だ。

 

「柳津温泉スキー場」跡地の利活用確定はまだ先のようで、「越後三山只見国定公園」に編入されたことで選択肢が増え、関係者を悩ませるのではないだろうか。どうか、意思決定をされる方々には、町民の福利厚生や教育のみならず、町に多くの観光客呼び込む事のできる只見線との相乗効果を考え、「柳津温泉スキー場」跡地の利活用法を検討して欲しいと思う。そして、そこにはキャンプ場が候補として入る事を期待したい。

  

 

「柳津温泉スキー場」跡の山麓駅を後にして、「つきみが丘町民センター」の日帰り温泉に入ろうと県道を進んでいると、只見川上を動くものがあった。先ほど見たSL型の観光船が、柳津町をくぐるところだった。 

  

県道から国道252号線に入り、瑞光寺橋上から「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」を眺めた。良い景色だった。

 

 

瑞光寺橋を渡り、国道を左折し、斎藤清アトリエ館前をまた左折。坂を上り「つきみが丘町民センター」に到着。日帰り入浴が可能な柳津温泉の施設だ。  

 

玄関には、2基の赤べこプランターが置かれていた。

 

中に入ると、玄関ホールには子赤べこが居て、出迎えてくれた。スタッフに聞いたところ、この子は作られたばかりで、名前が未だ無いという。

受付で400円を支払い浴室に向かい、ゆっくりと温泉に浸かった。

柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉)
・泉温:56.3℃ (pH7.8)

   

入浴後、玄関ロビーで休憩。窓の外には色付いた木々があった。このロビーと内湯は瑞光寺橋と桜の木に面している。


 

「つきみが丘町民センター」を後にして、近道となる階段を下りて、駅に向かう。途中、見晴らし台に立つと、吊り橋の観月橋と上弦アーチの柳津橋(ニールセンローゼ橋)、そして圓藏寺が美しく収まっていた。

 

 

途中、「あわまんじゅう」を買う事にした。まずは、「岩井屋」に立ち寄った。 

 

駅に続く坂の途中には「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」があり、多くの参拝客が出入りしていた。車の往来もあった。新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が解除され、客足が戻っているようだった。


紅葉のピークは過ぎたが、岩盤に立つ古刹は見ごたえがあり、背筋が伸びるような厳粛さを感じた。

 

「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」前から、「柳津温泉スキー場」跡を眺めた。双方の、位置関係が改めて分かった。

   

さらに県道のゆるやかな坂を上り、二軒目となる「いなばや菓子店」に到着。ここでも、あわまんじゅう1個と栗まんじゅう1個を買った。

 

この先の「小池菓子舗」には、また行列ができていた。今日は、「岩井屋」と「いなばや菓子店」の二軒の食べ比べと考えていたので、ここは通り過ぎた。


  

13:03、会津柳津駅に戻った。

 

駅を背にして、赤べこの案内板越しに「柳津温泉スキー場」跡を見てみた。

 

段々にサイトを設け、キャンプ場にしたら只見線内屈指のアクティビティ施設になると、改めて思った。

 

 

自転車を輪行バッグに収め、荷物を整理してホームで待っていると、まもなくキハE120形2両編成がやってきた。  

 

ホームには8名ほどの客が待っていて、停車した列車に乗り込んだ。私も輪行バッグを抱え、急ぎ後部車両に乗り込んだ。

13:24、会津若松行きの列車が会津柳津を出発した。車内は、思った通り混んでいて、人と人の間の席に座るしかない状態だった。紅葉のこの時期、この時間の列車の当たり前の光景だったが、只見線にも観光客が戻ってきているようで安心した。

 

 

列車は会津坂下町に入り、会津坂本に停車。車窓から綺麗に冠雪した飯豊連峰が見えた。先月登った会津百名山「鳥屋山」(580.5m)からは、良く見えているだろうと思った。 

  

七折峠の登坂を終え、坂を下る途中の塔寺を経て、木々の間から会津盆地を見下ろす。ここから見える国道49号線沿いに大型商業施設ができるというが、車窓から見られるこの景観が損なわれぬよう、店舗外観や看板には配慮して欲しいと思う。

   

 

列車は七折峠を抜け会津坂下に停車。複数の客が降りてたので空いている席に座り、「あわまんじゅう」を食べる事にした。

 

「岩井屋」のあわまんじゅうは、粟の食感のしっかりと残っている食感だった。

 

「いなばや菓子店」は、粒あんと粟の粒の食感が素晴らしく、期待通りの旨さだった。

  

  

列車は若宮を過ぎると会津美里町に入り、新鶴根岸を経て会津高田に停車。車窓からは、綺麗に冠雪した会津百名山「飯豊山」(2,105.2m)を含む飯豊連峰が見えた。 

 

 

  

14:21、会津本郷から会津若松市に入り、西若松七日町と市街地の駅を経て終点の会津若松に到着。 

 

今日の切符は、只見から富岡に帰るということで、「小さなホリデー・パス」と小野新町~富岡間乗車券の組み合わせにした。

 

  

会津若松から磐越西線の列車に乗り換える。猪苗代手前では、会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)が綺麗に見えた。 


 

 

20:03、郡山で磐越東線、いわきで常磐線の列車に乗り換え、無事に富岡に到着。今回も無事に二日間の只見線の旅を終える事ができた。  

  

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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