只見線全線開通50周年 「只見海里」号運行

1971年8月29日に会津若松~小出間135.2㎞の只見線が全線開通して、今日で50年を迎えた。50周年を記念して臨時運行される「只見海里」号が、田子倉駅跡周辺の山並みを背景に走る姿を見たいと思い只見町を訪れた。

 

只見線は、旧国鉄時代に只見中線(只見~大白川)間、いわゆる“六十里越”の工事が終わり、1971(昭和46)年8月29日に会津線[只見方](会津若松~只見)と只見線(小出~大白川)の三線が統合し開業した。

会津線[只見方]が“赤字84路線”に指定され『廃止が妥当』という勧告を受けながら、只見中線の工事を進め一本につながることで奥会津と新潟県中越地方を結び、豪雪地帯“六十里越”で降雪期唯一の交通機関として廃止を免れるに至ったという歴史を持つ、全国でも珍しい路線だ。 全線開業日翌日の地元紙の一面では、当日の様子が大きく取り扱われていた。*記事出処:福島民報 1971年8月30日付け紙面

(記事引用)
奥会津住民の六十年来の悲願を乗せて29日、国鉄只見線が開通、南会津郡只見町と新潟県中越地方が鉄路で結ばれた。只見町ではこの日、田中角栄通産大臣、木村本県知事、亘新潟県知事はじめ国鉄関係者、両県選出国会議員などを招き、盛大に開通式と完工祝賀式典を行い、両県知事はしっかりと手を握り合った。“越後山脈に背後をはばまれた袋小路のマチからの脱出”という夢の実現を祝ってこの日の只見町は全町休日、あげて開通祝賀一色に塗りつぶされた。国鉄線としては磐越西線だけだった本県と新潟県との間に新しいルートが開けたわけで新潟の一段と活発な交流と広域観光開発が約束された。


  

只見線は「平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害により、現在も会津川口~只見間(27.6㎞)が不通となっている。当初は今年復旧し、開業50周年と二度目の全線開通を迎え、盛大に祝われるところだった。しかし、再建される橋梁の工法変更などで復旧は来年に持ち越されることになり、今日は、開業50年を祝うだけとなってしまった。ただ、コロナ禍の現状を考えると、1年延びた事が吉と出るような気がする。 


 

今日、只見線の50周年を記念して、土日休日を中心に日本海側の新潟~酒田間で運行されている観光列車「海里」号が、只見駅にやってくることになった。最新型のディーゼルハイブリット「HB-E300系」で、今回は東京を発着とするツアーの中の一部として運行が企画され、新潟駅を基点に只見線内では小出~只見間を走行することになった。 *参考:拙著「【参考】観光列車「海里」乗車記 2020年 冬」(2020年1月5日)

観光鉄道「山の只見線」”が周知され、多くの観光客が沿線に訪れるためには観光列車の導入が欠かせない。観光列車の乗客を増やし、観光客が沿線に降りて滞在する環境を創り出さなければならないと私は思っている。

今日は、全線開業50周年の現地の雰囲気を肌で感じるとともに、只見町の山あいで「海里」号の走る姿を見て、観光列車と沿線の観光振興については個人的な考えを深めたいと、“鬼が面”の山稜を背景にした眺望が得られる田子倉駅跡周辺に向かった。

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

 ・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線のイベントー / ー只見線の夏

 

  


 

 

昨夜は、「駅前旅館 只見荘」に泊まった。只見駅の目の前にある旅館で、ホームページには10室30名の宿泊が可能となっていた。

 

玄関ポーチは鉢植えの花々で飾られ、華やかで、オーナーの優しさが感じられる空間になっていた。

 

自動ドアが開き、中に入ると、柔らかい電灯に照らされた木のぬくもりが感じられる玄関ホールになっていた。

朝、「明神岳」と「宮床湿原」に向かう前に荷物を預けていたこともあり、台所の方に声をかけるとご主人が『おかえりなさい』と出迎えてくださった。

 

荷物を受け取り、2階の部屋に案内される。通された部屋は一番奥の10畳敷。一人にはもったいない広さだった。


部屋には液晶テレビの他、電気式湯沸かしポットも置かれていた。

 

  

さっそく、登山とサイクリングの汗を流すため、風呂に向かった。浴室は私の部屋の目の前にあり、増改築の部分のようで、廊下から直接小さな階段がつながる中2階に置かれていた。

 

浴室の洗い場は5カ所あり、ボディソープとシャンプーが置かれ、シャワーの湯温調整や湯勢は申し分なかった。

 

湯舟は大人2人がゆったり入られる広さで、循環風呂のようだった。浴室は24時間利用可能で、嬉しいサービスだと思った。

 


洗面所は廊下に新旧3か所あり、ドライヤーが置かれ、使い捨て歯ブラシなどのアメニティも充実していた。

 


 

食事は18時からということで、時間になり、1階の大広間に向かった。和室だったが、テーブル席が用意されていた。

 

お茶や水、ご飯と味噌汁はセルフサービス式。ご飯茶碗は、一般的な大きさのものと、大きめのもの、2種類が置かれていた。

 

ドリンクメニューには、お隣の南会津町の日本酒全4銘柄や、只見産米を使用し花泉酒造で造られている「岩泉」、そして只見の焼酎「ねっか」などが載っていて、地酒が充実していた。

 

 

夕食のお膳。会津名産の馬刺しをはじめ、野菜を中心に7品が載っていた。今夜のスープは地元産夏野菜の具沢山スープ。この他、食事が始まると、只見町の魚になっている岩魚の塩焼き、会津地鶏のつくねと冬瓜のあんかけ、等が順次運ばれてきた。ご飯が無くてもお腹が一杯になる種類と量だった。

 

そして、ご主人が手打ちしている冷そばも給仕された。十割そばということで、香りがよく、コシもほどよく、旨かった。

 

酒は、ビールの後に「花泉」を呑んだ。

そして、夕食後、部屋に戻り、蒸留所見学で脇坂さんに勧められた「ねっか 雪中貯蔵酒」を呑んで一日を締めくくった。

 

 


 

 

今朝、部屋越しに陽射しを感じ、窓を開け外を見ると青空が広がっていた。「只見線開業50周年」は好天の下で迎えられる事ができ、只見線を走る「海里」号の乗客も小出~只見間の景色を良い環境で見られると思った。 

 

朝食は7時30分から、夕食と同じ1階の大広間で摂った。朝食も品数が多く、味噌汁とご飯も旨く、大満足だった。

 

    

 

今朝も余計な荷物を預かってもい、宿を出た。只見駅上空は雲一つない青空が広がっていた。

 

駅前広場ではテント部材の搬入など、“50周年記念式典”の準備が行われていた。

 

 

駅の北東にある上野原踏切に行き、ホームの全景を眺めた。ここに、「海里」号が入線してくる。背後には、猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線に現れる“寝観音”様がくっきりと見えた。

 

 

駅の正面に行く。式典のスタッフなど、人の出入りが多かった。

8:10 、只見駅前を自転車に乗って出発。

   

只見線の路盤に沿って少し進んで振り返ると、只見駅越しに“会津のマッターホルン”「蒲生岳」がはっきり見えた。

 

 

国道252号線に入り、緩やかな坂を上ってゆくと、前方に只見川を堰き止めた只見ダムが見えてきた。

 

8:25、電源開発㈱只見発電所・ダムに到着。ロックフィルダム堰堤の中心付近に移動し、上流にある田子倉ダムを眺める。空気が澄んで、青空が広がっているため、湖面に周囲の風景が映り込み綺麗だった。

 

ダムの上から、さらに上流のダムがはっきりと見える。国内でも珍しい光景だと思う。田子倉ダムの背後には、“寝観音”様が見えた。

  

北に目を向けると、低山の間に「浅草岳」山頂が見えた。堰堤の先には電源開発㈱只見展示館と、食堂と売店を併設した歳時記会館がある。

  

 

国道252号線に戻り、移動を再開。只見ダム湖を見ながら、ほぼ平坦な道を気持ちよく進んだ。

 

8:36、電源開発㈱田子倉発電所入口前に到着。田子倉ダムに蓄えられた水で巨大な水車を回し、国内第三位の水力産の電気を作り出し、首都圏を中心に送り出している。

 

この先、国道は右に鋭角に曲がり、傾斜が増し、どんどんと高度を上げてゆく。ただ、道は九十九折りで、気温も高くなかった事から、自転車のギアを一番軽くし、ゆっくりと漕ぎながら進むことができた。

 


   

8:51、田子倉ダムの天端に到着。

 

ダム湖の遊覧船「ブルーレイク」号は、コロナ禍の影響か、今年は未だ運行されておらず、大型の桟橋は撤去されていた。

  

 天端を進み、田子倉発電所の巨大な施設を見下ろした。

  

そして、反対側に目を向け、ダム湖を包む風景を眺めた。良い景色だった。

  

北に目を遣ると、「浅草岳」に連なる「南岳」(1,354m)-「鬼が面山」(中岳、1,465.1m)-「北岳」(1,472m)-「貉沢カッチ」(1,452m)の稜線ははっきり見えた。 この後、田子倉駅跡周辺を通過する「海里」号を、只見町を象徴するこの山の稜線を背景に撮りたい考えていたので、その時も雲に隠れないで欲しいと思った。

  

田子倉ダムを後にして、田子倉駅跡の撮影ポイントに向かう。上り一辺倒ではなく、下りまた上るという区間もあるので楽ではなかったが、気温が高くなく、なんとか自転車に乗り続ける事ができた。

 

 

 

 9:16、入間木第1スノーシェッドを潜り抜け、カーブを曲がると、前方に“先客”の姿が見えた。

 

撮影ポイントに到着。自転車を車の走行の邪魔にならないところに停めて、ワイヤーロープ式防護柵の前に立った。只見線・田子倉トンネル(3,712m)の出入口の上部にあたり、「南岳」-「鬼が面山」(中岳)-「北岳」-「貉沢カッチ」が背後にどっしりそびえ、雪崩路(アバランチシュート)と剥き出しの岩肌を持つ奥会津を象徴する山々を背景に、田子倉駅跡のスノーシェッドから出てくる列車を撮る事ができる場所だ。

先客の“撮る人”は6名で、私より北に3mほど離れた場所に三脚を立て、全員固まっていた。列車に枝葉が重なら撮る事ができる場所のようだった。

私は、「貉沢カッチ」の特徴ある尖がった稜線を構図に納めたかったので、一人離れた場所に陣取る事にした。

 

「海里」号の通過まで時間があったので、田子倉駅跡周辺を見て回った。

 

まず、今回撮影するポイントで、列車が通過する余韻沢橋梁を横から眺めた。ここは列車から田子倉ダム湖の中心部まで見通せる、貴重な明かり区間になっている。

 

国道252号線を進むと、夏草に囲まれた田子倉駅跡があった。1971(昭和46)年の只見線全通時に開業したが、当時から無人駅で、2001(平成13)年に臨時駅になり、2013(平成25)年3月16日に廃止された。「浅草岳」の登山客や、紅葉などを見るために降り立つ観光客ための、住民の利用の無かった“秘境駅”だ。

 

駅舎はホームも含め、すっぽりとスノーシェッドに覆われている。国道の反対側は田子倉ダム湖の“只見沢入江”で、素晴らしいロケーションに建っている。また、ここは「越後三山只見国定公園」「只見ユネスコエコパーク」の中という国も世界も認めた自然環境の中だ。

私は、この環境を活かさない手はないと思っている。田子倉駅跡をリノベーションし、山岳アクティビティの拠点として復活させる事が、“観光鉄道「山の只見線」”の認知向上に直結し、国内稀有の観光地として観光客を呼び込むことになる、と私は思っている。 

  

 

田子倉駅跡の先には、「六十里越トンネル」(6,359m)がある。野趣味ある、印象に残る出入口だ。

 

田子倉無料休憩所」の駐車スペースにはトンネルの設備強化工事が行われるため、工事車両や重機が置かれ、路盤の脇には鉄板が敷かれ導入路の設置準備がされていた。

冒頭に記したように、「六十里越トンネル」を含む只見中線は、只見線が廃止勧告を受けた後に工事が進められ開通した。これにより、只見線は降雪期に只見町と新潟県中越地方(現魚沼市)を結ぶ唯一の交通機関として、実質廃止を免れたと言われている。只見中線の最大の難工事と言われた「六十里越トンネル」の貫通が、只見線全通50周年をもたらしたといっても過言ではない。

設備強化工事(2021年9月1日~10月15日のうち32日間 )が無事に行われ、次の50年に向けても会越を繋ぐ貴重な隧道としての役割を果たして欲しいと思った。 *参考:東日本旅客鉄道㈱「只見線「設備強化工事」に伴う列車の一部運休について」(PDF) (2021年7月26日)

  

線路を挟んで反対側にある「浅草岳」只見沢(田子倉)登山口には、2台の車が停められていた。今日は天気も良く、良い景色を眺めながら楽しい登山ができているのではないかと思った。

 

 

国道252号に戻り、少し進み、只見沢橋から、「六十里越トンネル」と「浅草岳」を眺めた。この構図も良く、人によっては沢に下りて、列車を見上げるアングルで撮っている。“撮る人”がと思われる若者が、どこで撮ろうかと歩き回っていた。

 

只見沢橋で国道を引き返し、田子倉駅跡付近から“只見沢入江”を挟んだ対岸を通っている国道の白沢スノーシェッドを見る。やはり、屋根の上に“撮る人”の姿があった。この場所は撮影ポイントとなっているようで、今日のように臨時列車が運行される日や紅葉期に、複数の“撮る人”を見かける。

 

 

  

田子倉駅跡周辺の散策を終え、撮影ポイントに戻った。“撮る人”は6人のままだったが、「海里」号の通過時刻になると高齢のご夫婦がスマホ片手に加わった。

 

 

10:24、カメラを構えて待っていると、微かにディーゼルエンジンの音がして、ゆっくりゆっくりと「海里」号がスノーシェッドから顔を出した。オレンジ色を配した先頭車が緑とスラブの山々に映え、この瞬間に、この場所を撮影場所にして良かったと思った。

  

“撮る人”達の会話はピタリと止み、シャッター音だけが、響き渡った。私は、「貉沢カッチ」が隠れないように、枝葉が先頭車両に掛からなくなった位置でシャッターを切った。「海里」号は徐行運転だったため、何度かシャッターを切る事ができた。

撮影が終わると、急ぎ撤収。只見駅11時25分発の代行バスに乗るために、自転車にまたがり、国道を駆けた。 

 

 

 

 

 

ちょうど30分で、只見駅に到着。宮道踏切からホームを見ると、「海里」号が停まっていた。

 

最新のディーゼルハイブリット車両だが、只見の風景になじんでいた。

 

 

駅前広場に向かうと、“祝 只見線全線開通50周年記念”と表示されたバルーンアーチが置かれ、多くの物販などのテントが設営され賑わっていた。

  

今回の旅で一番懸念していた、“田子倉駅跡付近から只見駅まで1時間以内での移動”は無事達成された。宿に立ち寄り、オーナー夫妻にお礼を言って荷物を受け取り、代行バスの発車まで駅周辺を見て回った。

  

駅前のイベントは、只見町地域創生課・JR只見線利活用促進委員会が主催している。イベントポスターは、只見駅のホームに停車しているキハ48形(引退)の背景に残雪の山々、という春の写真が使われていた。

 

広場に設けられたテントは、駅舎側ではJRが「海里」号の見学、レールスター乗車体験の受付と記念入場券セットの販売、反対側では記念撮影の受付や物販が行われ、休憩スペースも作られていた。コロナ禍の影響か、飲食物の販売は大々的には行われていなかった。

 

駅舎の前では写真を撮る方が多く、“1分駅長”という記念撮影も行われていた。

 

朝は気づかなかったが、駅頭にぶら下げられた風鈴の短冊には、只見線50周年を祝う子供たちのメッセージが書かれていた。地域の足とは言えないが、地域の大切なもの、と子供たちが只見線を理解し関わって欲しいと思った。

 

JRのテントで、帰りに会津若松駅で買おうと思っていた「「只見線全線開通 50 周年」記念入場券セット」を入手した。

  

上野原踏切に行くと、「海里」号が停車している反対側の線路に、イベントで使用されるレールスターが試運転をしていた。最後に良い景色が見られた。

  

 

駅舎に戻り、窓口で青春18きっぷに検印を入れてもらった。

 

11:25、いつもとは違う場所につけられた代行バスに乗り、只見を後にした。乗客は私の他4名だった。

   

 

代行バスは国道252号線を進み、会津蒲生を出て寄岩橋を渡り「第八只見川橋梁」を見ると、背景に雲一つない青空に「蒲生岳」がそびえ、良い景色だった。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

   

復旧工事も順調のようで、6月下旬に見た時に型枠などの仮設で覆われていた、真新しい路盤の擁壁が白く浮かび上がっていた。

 

 

代行バスは会津塩沢を経て、只見町から金山町に入り、会津大塩“駅”となっている大塩体育館に停車。只見線全線開通50周年を祝う幟には、町のゆるきゃら「かぼまる」が描かれていた。

会津大塩の次は会津横田会津越川本名と、代行バスは各“駅”に停車していった。 

 

 

 

12:15、会津川口に到着。いつもお世話になっている駅前の加藤商店に行き、買い物をした。

 

 

駅に戻り、駅舎を抜け、ホームに向かう。会津若松行きのキハE120形が停車していた。

 

後部車両に座り、さっそく昼食にした。おにぎりは、「駅前旅館 只見荘」で女将から頂戴したもの。ありがたく、いただいた。

12:31、会津若松行きの列車が会津川口を出発。前後車両で10名ほどの客が乗っていた。 

  

まもなく、前方に只見川(上田ダム湖)にせり出している大志集落が見えた。昼ということで水面の水鏡は現れていなかったが、すっきりと晴れ渡った青空と山々の緑とスラブの岩肌、そして赤いトタン屋根を中心とした家々の構図は美しかった。

    

 

会津中川を出て、只見川が近づくと、間を走る国道252号線の拡張工事現場が現れた。木冷沢の水は山側で堰き止められ、暗渠排水管で工事区間を抜け、只見川に注がれていた。

  

 

下路式トラスの「第四只見川橋梁」を渡る。反対側の席から、下流側を見た。渡河する前には、車内に録音された男性の声で、車内放送が流れ、「第四」以後も同様に橋梁からの見どころが案内された。

  

会津水沼を経て、細越拱橋を渡り、金山町から三島町に入る。

  

早戸を出て、早戸トンネルと滝原トンネルを抜け、「第三只見川橋梁」を渡る。下流側を眺めた。 

   

会津宮下を出発すると、「第二只見川橋梁」を渡る。上流側の先に見える「三坂山」はハッキリと見えた。今日は登山日和だと思った。

  

会津西方を出て、名入トンネルを抜けると、ゆっくりゆっくりと「第一只見川橋梁」を渡った。

  

そして、会津桧原を出発し滝谷トンネルを抜けて渡る滝谷川橋梁でも、車内の観光放送が流れた。減速はしなかったが、只見線の福島県側で唯一ともいえる渓谷美が見られる場所なので、放送により周知されるのは喜ばしい事だと思った。

列車は、滝谷から柳津町に入り、郷戸会津柳津を経て、会津坂本から会津坂下町に入る。その後、七折峠に入り、塔寺を出てしばらくすると会津盆地の田園を駆け抜けた。

 

 

 

会津坂下で下り列車とすれ違いを行い、若宮を出て会津美里町新鶴根岸会津高田を経て会津本郷から会津若松市に入り、大川(阿賀川)越しに「磐梯山」を見ながら住宅地に進んでいった。

 

 

 

14:21、西若松七日町と市街地の駅を経て、会津若松に到着。

  

 

  

20:03、会津若松市内で所用を済ませた後、磐越西線、磐越東線、常磐線と乗換えて富岡に到着。無事に只見線1泊2日の旅が終わった。

  

 

  

只見線の全線開業は『奥会津 五十年来の夢』で、そして、『観光開発』に大きな期待をされていた。 *記事出処:福島民報 昭和46(1971)年7月30日付け

 

開業日翌日の新聞では、『観光只見、売り出す 東京まで5時間に(上越線経由)』という見出しが打たれ、首都圏からの観光客が訪れる事を期待していた。 *記事出処:福島民報 昭和46(1971)年8月30日付け 

(記事引用)
観光只見、売り出す 東京まで5時間に
只見線全通は過疎に悩む只見町を東京に近づけた。これまで会津若松-郡山-東京間約九時間かかったのが、只見線、上越線を利用するとなんと半分の約5時間に短縮される。
 このため只見線の全線開通で奥会津、特に只見町の人たちは「ようやくオレたちの観光の出番が回ってきた」と大喜び。新潟と全会津にまたがる雄大な山と深い谷、うっそうと茂る千古の大森林、只見から柳津まで曲がりくねって流れる只見川の七十㌔の間に点在する発電所とダム、素朴な人情とひなびた山の温泉群、これらはいままで越後山脈にさえぎられ一部の登山家やハイカー、マイカー族にしかしられなかったが、只見線の開通でディスカバリージャパンの波に乗り全国のレジャー族が押しかけてくることが期待される。

 

しかし、実際は、只見線の輸送乗客数が増えるどころか減少の一途をたどり、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で2つの鉄橋が流出した会津川口~只見間(27.6km)について、JR東日本は鉄路復旧に後ろ向きで、バス路線転換を主張し続けた。50年前に訴えていた“観光開発”や“観光只見、売り出す”が実を結んでいたら、JR東日本は、強固に鉄路復旧断念とは言い続けなかったと思う。

今日の記念日を機に、この50年の只見線に関連した観光事業の反省が,、関係者には必要だろう。その上で、列車に乗って旅をする方々が、何に魅かれ、何を求め、何に戸惑い不便を感じているのかを、乗客の身になって想像力を持って考え、事業を進めなければならないと思う。

 


只見線沿線に観光資源は豊富にあり、50年前に挙げられた『新潟と全会津にまたがる雄大な山と深い谷、うっそうと茂る千古の大森林、只見から柳津まで曲がりくねって流れる只見川の七十㌔の間に点在する発電所とダム、素朴な人情とひなびた山の温泉群』といった見どころも失われていない。そればかりか、ビューポイントや登山道の開発で、魅力は増している。

私は、只見線の観光事業は、何より奥会津と六十里越地帯の「越後三山只見国定公園」と「只見ユネスコエコパーク」の大自然を最大限活かし、観光客が見て、体験する環境を整備する中で“観光鉄道「山の只見線」”の基礎を固める必要があると思う。


“見る”という点では、只見線専用の観光列車の導入だ。巨額の投資となるが、観光鉄道を目指すのであれば必要だ。今日、只見駅に乗り入れた「海里」号は1編成20億円を超えるが、只見線になじみ深いキハ40形などの車両を改造すれば費用は抑えられる。まずは、車窓から見える只見線沿線の素晴らしい景色を、心地よい空間の中で見られる観光列車を調達し、“観光鉄道「山の只見線」”として次の50年の布石を打って欲しい。

 

そして、“体験”は、山と川(湖)に関わるアクティビティを増やし、観光客が手軽に気持ちよくできる環境を整える事だと思う。「会津百名山」などの登山、只見川やその支流、沼沢湖や田子倉湖などでの釣りやカヌー(ハサップ)、そして山間や湖畔でのキャンプなど、現状でも只見線沿線に山と川(湖)に関わるアクティビティは多い。

しかし、これらのアクティビティが“手軽に気持ちよく”利用可能かというと、現状はそうではなく、改善や新たな手が必要だ。登山道の整備(草木の刈り払いや案内板の設置)、釣り場情報のプラットフォーム化やレンタル制度の創設、只見川沿いの各ダム湖でカヌー(ハサップ)できる手続きや場の整備、そしてキャンプ場へアクセス向上やレンタル備品の充実、適地へのキャンプ場開設などが考えられる。

これらは、奥会津の町村単独でする必要は無く、自治体間で基金等を作り協働で行ったり、民間の力を借りる事も可能だ。只見町は「奥会津ただみの森キャンプ場」のリニューアルに隣接する新潟県三条市に本社を持つ㈱スノーピークに協力を得た。また、今月には、アウトドア用品を取り扱う㈱モンベルと包括協定を結び『「自然首都・只見」の魅力発信や「ユネスコエコパーク」の理念である人と自然の共生を推進する』という。具体的な計画や事業は不明だが、今後が楽しみだ。*記事出処:福島民報 2021年8月3日付け紙面より 

 

只見線沿線には、この他に福島県側だけでも主役級の多様な観光資源があり、これら沿線の大自然を“見る”、“体験”する事業に組み合わせてゆく。

●歴史・文化:仏都会津(高僧・徳一、日本遺産「会津の三十三観音めぐり」)、会津四家と蒲生の治世→会津藩と南山御蔵入領、戊辰戦争(会津戦争)

●民芸(伝統工芸品):会津塗会津本郷焼奥会津編み組細工奥会津昭和からむし織

●食:会津馬肉、会津地鶏、只見マトン、イワナ、ヒメマス、あわまんじゅう

●酒:日本酒(会津若松市、会津美里町、会津坂下町)、焼酎(只見町)、ワイン(会津美里町)

 

特に、列車旅との親和性が高い、酒は重要だ。只見線に乗って、会津の酒を呑まずに旅を終えてしまうのは、あまりにもったいない。“只見線に乗れば、全国新酒鑑評会8年連続金賞数日本一の日本酒など、旨い酒が呑める”というアピールは欠かせない。

 

 

来年、只見線が、再び一本につながる。11年という長期運休期間はJR管轄路線で最長、しかも中間区間(会津川口~只見)のみの上下分離(公有民営)方式 の導入はJR管轄路線初めてとなる。必ず多くのメディアで取り上げられ、注目を浴びると思われる。まずは、この機を失うことなく、この情報に触れた一人でも多くの方々に“只見線に乗ってみたい”、“只見線に乗ろうか”と思ってもらう必要がある。

現在、福島県を中心に「只見線利活用計画」に沿って事業が進められているが、私には“乗る人”の視点が欠けているように思える。観光鉄道の導入を計画の最優先事項にもってくるなど、“只見線に乗ってみたい”、“只見線に乗ろうか”と県内外・国内外の旅行者に思わせるよう、計画を見直す必要があるのではないかと思う。


 

福島県ならびに只見線沿線の自治体は、全線開業以来50年の教訓を今後に生かし、観光客が只見線に乗って降りて楽しんで滞在し、そしてまた只見線に乗って来る、という好循環を創出し、観光事業の果実を得て欲しいと思う。

  

私は、引き続き「会津百名山」登山やキャンプなどを通して、山岳アクティビティを体験し、只見線沿線の自然の素晴らしさを伝え、“観光鉄道「山の只見線」”が国内外に広く浸透し定着するために必要な課題を、自分なりに考えてゆきたい。



(了)


 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願いします。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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