運休区間を走る 2016年 晩秋

今年中にJR只見線の不通区間(会津川口~只見)の現状を見たい思い、折り畳み自転車を輪行しJR只見線に乗車。只見町に向かった。

天気予報は“雨のち曇り”。

景色を楽しむには適さない天候だったが、雪が積もる前にと思い、仕事が休みとなった今日行く事にした。

 

図らずも今朝の新聞(福島民報)の一面には只見線の復旧について大きく取り上げられていた。

記事によると、昨日会津若松市で行われたJR只見線の「復興推進会議検討会」で不通区間の復旧費が108億円から81億円に圧縮可能で、費用負担が「福島県+会津地方17市町村:2/3」、「JR東日本:1/3」という方向で一致したという。JR東日本はバス代替輸送を引き続き継続(復旧工事は行わない)したい意向だが、執行役員の話では『地元の方針が決まれば尊重したい』と地元が“復旧”と決定すれば従う意向を示したようだ。

まだ決定には至っていないが、区間不通(会津川口~只見)から5年4か月を経て、復旧の道筋は見えてきたように思える。

 *以下リンク、河北新報(2016年11月28日付)

 

 

不通区間の一部、会津川口駅から会津塩沢駅までは2014年4月に歩いたことがあるが、今回は全不通区間を見るため、輪行し運休区間を自転車で“走る”事にした。

 

 

本日の予定は次の通り。

[往路]

郡山→(磐越西線)→会津若松→(只見線)→会津川口→(只見線 代行バス)→只見

[復路]

只見駅→(自転車、国道252号線)→会津川口駅→(只見線)→会津若松→(磐越西線)→郡山

 

 

 


5:55、郡山駅発の磐越西線始発列車に乗る。いつもの「あかべぇ」車両。

夜明けはすっかり遅くなった。

 

中山峠を越えると、徐々に空が明るくなってきた。

 

川桁(猪苗代町)を過ぎ、中腹付近まで雪が見られた磐梯山が見えてきたが、分厚い雲に覆われているせいで外が暗く、車内の方が明るいためその姿を上手く撮影する事は出来なかった。

 

7:07、定時に会津若松駅到着。 一旦改札を出て外の様子を見る。

多くの高校生が駅に出入りしていた。

只見までの切符を購入し、改札を通り、連絡橋で只見線の4番ホームに移動。

橋上から乗車する会津川口駅行きの列車を見下ろす。

西の空には青空も見えたが、雲行きは怪しい。

これから行く現地は予報通り、雨か。

 

会津若松~只見間の運賃は1,660円。往復すれば3,320円となる。

郡山~会津若松間は「Wきっぷ」の利用で1,860円。

郡山駅から只見駅を往復すると5,180円となるが、私はこの金額にみあった価値が只見線にはあると思う。

欲を言えば、“只見線フリー切符”なるものが「二日間有効」「会津若松~只見間乗り降り自由」「価格5,000円」で企画されるのであれば、より只見線の価値を味わえ、多くの乗客に満足を与えられるとも思う。

 

 

7:37、列車(気動車、キハ40系)は定刻に出発。

 

七日町西若松で多くの高校生が乗り込み、乗車率100%を優に超え南下した。

間もなく、阿賀川手前で西進し会津本郷(所在地は会津若松市)、会津高田会津美里町)に停車。ここで県立大沼高校の生徒が下車する。

会津高田を出発すると北進し、根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮を過ぎると、再び西に進路を取った直後に会津坂下に停車。県立坂下高校、県立会津農林高校の大勢の生徒がホームに降りて行った。

ここで車内は一気に閑散とし、私の乗る三両目(ロングシート)の乗客は居なくなり、移動した2両目には他一人の乗客のみとなった。

毎度の光景だが、これが、平日の只見線の現状。ここを(乗客で)埋めなければならない、と思った。 ちなみに、私が移動し乗客が居なくなった三両目は通路がふさがれ“閉鎖”された。暖房の稼働などを考えれば当然の処置だと思った。

 

 

会津坂下駅を出発すると列車は会津平野と別れを告げ、七折峠に向かって右に大きくカーブし登ってゆく。

塔寺付近から南西に向かい始め、現在の終点・会津川口、その先の只見へと大きく進路を変える事はない。

 

会津坂本を過ぎると柳津町に入り、会津柳津に停車。郷戸を過ぎ只見川がわずかに顔を出し、滝谷から間もなく滝谷川の渓谷を見下ろす滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。

冬が訪れる前の彩りの無い景色だが、白い岩肌と清流が見る価値を高めている車窓からの風景だと思う。

 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

会津桧原を発車し桧原トンネルをくぐると、「第一只見川橋梁」を渡る。

只見線を代表する車窓からの眺めが楽しめる「第一橋梁」ではあるが、色付きが終わり落葉した木々は少し寂しい。

 

会津西方を過ぎるとまもなく「第二只見川橋梁」を渡る。

濃緑の只見川が一番鮮やかという風景。晩秋・初冬の景観だ。

 

 

列車は会津宮下に到着。会津若松行きの下り列車と顔を合わせ、すれ違う。

宮下ダムを右に見て、しばらくダム湖(只見川)沿いを駆け抜けてゆく。

 

一旦、只見川を別れ、林の中を進むと車輪の通過音が変化し始め、視界が一気に開けると「第三只見川橋梁」を渡る。

山々の稜線が重なり合う車窓の風景。「第一」「第二」とは明らかに趣きが違う。

“橋梁の只見”は橋それぞれの構造と車窓の違いが魅力の一つだが、“橋”だけでも楽しめる路線は国内無二だと思う。

維持管理費やこれから再建・補強工事をする可能性がある第五~八橋梁の復旧費などは高額だが、それに見合った観光客を見込めると、私は思っている。

 

 

列車は早戸を過ぎ金山町に入る。国道252号線沿いに建つ“めがね橋”を渡る。


会津水沼を経て、まもなく「第四只見川橋梁」を渡る。

下路式トラス橋のため、シャッターを押すタイミングが悪いと柱だけが写ってしまう。

今回はそうだった。掲載できる写真が撮れなかった。

 

 

寄り添うように家々が立ち並ぶ中川地区寄居の集落。

只見川に沿って細長い田と集落。奥会津を象徴する車窓の風景だと私は思う。

 

会津中川に到着。

只見線内で、最も絵になる駅舎だ。

ちなみに、最も絵になる“駅を取り囲む風景”は早戸駅(三島町)だと個人的に思っている。

 

 

終点を告げる車内放送が流れる中、只見川に架かる上井草橋が見えた。

只見川の縁を走る区間では、浚渫工事の様子が見られた。

復路に分かったのだが、掬い上げられた堆積土砂は運搬船で中川地区にある小型の泊地に運ばれていた。

只見線部分運休の原因ともなったダムの堆積物。

浚渫は大変で地道な作業であるが、ダムの治水が想定通り行えるよう、関係者には尽力願いたい。

 *参考:東北電力㈱ 「地域の安全確保に向けた取り組みについて」(2014年7月8日)

 

現在の終点である会津川口に到着。

ここから先、只見まで27.6kmが現在不通となっている。

前回(2014年4月)はここから不通区間を会津塩沢駅まで歩いたが、今回は逆方向(只見駅)から不通区間を自転車でたどる。

 

ホームの先、駅の西にある転車台の奥には除雪車が待機していた。

冬の準備が進む。

小雨舞う中、駅舎を出て周辺の様子を見る。

駅前の国道252号線ではのり面の補強工事が行われていて、自動車が交互通行していた。

駅前の花壇が大きく様変わりし、積雪を控えてか、丈の低い花々が植えられていた。

10:15を過ぎ、只見駅から代行バスが到着。

数人の乗客を降し、折り返し只見駅行きになった。

10:25、この代行バスは私だけを乗せて定刻通りに出発した。

 

 

 

途中、乗客の乗降はなく、定時に只見に到着。

駅舎は雪囲いされていた。ここでも冬の準備が進む。

雨は降り続いていて、時折、西北からの風に横殴りとなった。

少し様子を見ていたところ、薄い雲越しに日が差し、雨が弱まった。

ここで、自転車を組み立てて、出発の準備をした。

駅舎の窓、只見町観光まちづくり協会が同居する売店の窓には町の“ゆるキャラ”「ブナりん」の仲間である「イワっち」と「アカショウちゃん」が小さなクリスマスレリーフを付けられていた。

このような細かい演出は、スタッフの心配りが感じられ嬉しい。

 

 

パラパラと雨が落ちる中、只見を出発。

不通区間27.6kmをほぼ平行する国道252号線に沿って自転車で走る。

その間に駅は6箇所。全てに立ち寄る予定だ。

 

 


ここで只見線を区間運休に追い込んだ「平成23年7月新潟福島豪雨」について確認。

 *紙面:福島民報 2011年7月30日付け

平成23年7月新潟福島豪雨」は、7月27日~30日かけて前線が停滞し、局地的に猛烈な雨を伴って、福島県内では会津地方西部を中心に大きな被害をもたらした。

7月27日~30日の4日間に累計雨量711mm、最大24時間雨量では観測史上最大の527mm。

29日には69.5mm/h(只見観測所)をそれぞれ記録するなど集中した豪雨となった。

9市町村に災害救助法が適用、同年8月には政府から激甚災害に指定された。

この豪雨で只見川の水位が上昇、流域のダムの放流も重なり、只見線は路盤流出、法面崩壊、橋桁損傷、土砂崩壊、スノーシェッドの天井破壊などの被害を受け、区間運休。

「第五」「第六」「第七」の3橋梁が流失した会津川口~只見間は現在も運休したままとまっている。*「第八橋梁」はのり面崩壊や橋桁損傷などの被害

 *参考:金山町「JR只見線 第五・六・七鉄橋の現状」

 

 


只見を出て、只見高校越しに“会津のマッターホルン”こと蒲生岳を正面に見て農道をしばらく進む。

只見高校の正門前を右折し国道252号線に合流。北上を開始する。

10分で叶津に到着。叶津川橋梁を見上げる。

ゆったりとした曲線を持つ全長372mにの開放的な橋。撮影スポットにもなっている。

橋梁の形式は「上路プレートガーター+下路プレートガーター+鉄筋コンクリートT桁」の組み合わせ。 

 *参考:Wikipedia「叶津川橋梁

 

一見し、橋桁や橋脚に目立った損傷はない。

コンクリートの橋桁上には雑草が生い茂っていたが、今すぐにも列車が走れるような状態だ。

 

 

自転車を進める。雨が強くなってきたためフードを被る。

 

 

叶津川橋梁から約10分で「只見四名山」の一つ要害山が見えてきた。

先ほど、只見高校越しに見えた“会津のマッターホルン”だ。山らしい山だと思う。

 

この蒲生岳の麓、“直下”に最初の休止駅「会津蒲生」がある。

只見~会津蒲生の駅間は4.5km。このホームの左(北側)が蒲生岳。

復旧後は蒲生岳登山の拠点として活用を期待したい。

 

冷たい雨に体が冷え始める。 体温を維持しようと先を急いだ。

 

 

坂を登り宮原集落を抜け、蒲生橋で只見川を渡る。

そして再び渡河するため寄岩橋を走り、中間地点で停車。 橋上から「第八只見川橋梁」を見る。

「只見川・JR只見線・蒲生岳」の“三点セット”が見える。

車窓からの風景も良いが、この寄岩橋から見る景観は只見線屈指のものだと思う。

三島町の「第一只見川橋梁」と双璧だ。

「第八橋梁」は全長371mで、形式は「単線下路曲弦ワーレントラス+単線上路プレートガーター+RCT桁」の組み合わせ。

 

この「第八橋梁」はは運休区間の中で復旧費用がダントツに高い。

JR東日本は再検証後に52億円を提示し、今朝の福島民報では“かさ上げ工事の回避で工費圧縮”としたが、それでも25億円で全体の3割を占めている。

原状見る限り、水面からはかなり距離があり、ダム治水(上流に只見・田子倉両ダム、下流は滝ダム)ということを考えればかさ上げ工事は必要ないという印象を受ける。

橋桁の上には当時のまま流木が乗っているが、橋脚や桁に大きな損傷が無い事から、欠損したのり面の修復と補強工事などで復旧できるのではないかと、素人考えでは思ってしまう。

只見線復旧工事の総額に大きな影響を与えるだけに、専門的な見地から合理的な復旧費用を算出して欲しいと思う。

 

 

寄岩橋を渡り、右に大きくカーブしながら坂を登り路地を左折。

間もなく二つめの休止駅「会津塩沢」に到着。

会津蒲生~会津塩沢の駅間は3.0km。

 

ここ塩沢地区は幕末の志士・河井継之助の終焉の地。

会津塩沢駅から徒歩圏内に「河井継之助記念館」と、300mほど離れた医王寺に氏の墓がある。

また、かなり歩くようだが、只見川の対岸・十島集落から山を登ると「第八橋梁」を見下ろせる“ビューポイント”がある。

私も次の機会にハイキングがてら訪れたいと思う。

 

只見線は「河井継之助記念館」の前を走っている。

国道252号線の塩沢橋から只見線の橋梁を見ると保守用の通路がひしゃげていた。

おそらく雪の重みだろう。

復旧工事ではこのような設備の修繕も含まれるだろう。

 

さらに国道252号線を進む。

塩沢スノーシェッドが只見川にそって伸びる。

外気温は4℃。冷たい小粒の雨が降り続く。


 

只見町はここまで。

只子沢橋を渡り金山町に入る。

 

滝トンネル(2014年12月供用開始、751m)に入ると前方に旧道(滝スノーシェッド+滝隧道)の分岐点の明かりが見えてきた。

その分岐点から旧道に入りスノーシェッドから滝ダムを見る。

ダム躯体が正面から見える。

山並みに一体化した、美しいダムだと思う。

 

 

スノーシェッドを抜け、「滝沢天然炭酸水」の炭酸場の前を通り抜ける。

会津塩沢から約30分。三つ目の休止駅「会津大塩」に到着。

会津塩沢~会津大塩の駅間は5.5km。

只見駅からは13kmの地点で、写真を撮りながら自転車で約1時間かかった。

 

徒歩圏内には「大塩天然炭酸水」の炭酸場、「第七只見川橋梁」、「大塩温泉 共同浴場」がある。

 

町道の四季彩橋に移動し、橋上から「第七只見川橋梁」を見る。

流失3橋梁で唯一代行バスから見る事のできない橋だ。

橋桁が流失し、橋脚が残る。

「第七橋梁」は全長164mで、形式は「単線上路プレートガーター+単線上路ワーレントラス」の組み合わせだった。

 

途切れた鉄路が、復旧を待つ。

 

国道252号線に戻り、「大塩天然炭酸水」炭酸場の入り口の前を通る。

 *参考:大塩炭酸水保存会 URL:http://tansansui.net/

 

更に国道を進み、二本木橋を渡り、横田地区に入る。

「横田鉱山」跡地を見るために右折し只見線に向かって自転車を進める。

間もなく、現地が見えてきた。

ここに鉱山があったとは思えない。

私は現地を歩いてみたが、一見痕跡は見えなかった。

 

唯一、跡地と国道をつなぐ道の途上にある踏切にその“名残り”である「鉱山第二踏切」があった。

この「横田鉱山」からの鉱物を積みだしていたという「会津横田」は跡地に北接している。

只見から数えて4つ目の休止駅だ。

会津大塩~会津横田の駅間は2.2km。

徒歩圏には、前述の「横田鉱山跡」や後述する「中丸城址」がある。

また、私は只見川沿いに建つ家々が見える二本木橋からの眺めは一見の価値があると思う。

「平成23年7月新潟福島豪雨」後に施されたコンクリート製の護岸。 これらが河岸の上に並ぶ。

なかなか見られない光景であるとともに、豪雨当時の氾濫水位が一目でわかる防災上も貴重な土木構造物であると思う。

 

 

「会津横田」を後にすると北の空に青空が見えた。 いつの間にか雨は止んでいた。

国道252号線に戻ると、間もなく「中丸城址」の立て札(丸太)が見えた。

町指定の重要文化財になっているようで、向かいの歩道には案内板も設置されていた。

「中丸城」は中世の山城で、源頼朝の恩賞で下賜された地に築城され、伊達政宗の侵攻に耐えたものの、豊臣秀吉に没収された歴史を持つという。

 

案内板の全文は以下の通り。

「金山町指定重要文化財 横田 中丸城跡」
文治五年(1189)源頼朝は奥州の藤原氏を征討した。 この時従軍した山ノ内経俊はその恩賞として、金山谷、伊北郷など八百八十貫文の地を与えられたと伝えられている。しかし、実際にはこの地に入部したのは、応永十年(1403)ころ十代目の子孫通俊といわれている。それより、この要害山に山城を築き、中丸城と称して中世のこの地を支配する本拠とした。さらに、一族の領地に七騎党城、重臣に六固城と村落に五十一の持柵を築いた。天正十七年(1589)伊達政宗の会津侵攻で、葦名氏は磨上原の合戦で滅亡したが、時の城主氏勝は中丸城や中山城それに水窪城に拠って、翌十八年まで頑強に抵抗し雌雄を決しなかった。だが、豊臣秀吉の会津下向によって氏勝は所領を没収され、同年越後に去り彼の地で波乱の生涯を終った。
(蒲原郡下田村(*現在の新潟県三条市)延命寺に氏勝の墓、三大寺に位牌が現在も安置されている)

昭和48年3月 金山町教育委員会

 

 

 

引き続き国道252号線を(会津)川口方面に向かって進む。

間もなく、只見線のスノーシェッドが右手に見えた。

つる草に覆われ、“廃墟”と見紛う。

不通から5年の月日を感じる。復旧の際は、塗装し直して再利用できるのだろうか。

 

 

更に進むと前方に「東北電力㈱ 伊南川発電所」が見えてきた。

 *参考:水力発電所ギャラリー 「東北電力 伊南川発電所

 

この「伊南川発電所」が面白い。

放出口は只見川に向いているが、山側の水圧鉄管の内部の淡水はどこからやってくるのか?

施設名は“伊南川”だが伊南川は近くに無く、伊南川は只見町を東西に流れ、只見駅の東側で只見川と合流している。

国土地理院の地図を見て初めて分かったのだが、南に直線距離で約8km離れている只見町小林地区に取水口があり、伊南川の水は大半がトンネルの送水管を通ってここまで来ている。

1935(昭和10)年に着工したというのだから、当時の土木技術の高さに驚いた。

この送水管が、途中顔を出す場所がある。

金山町の山入字宮ノ沢にある大岐ダム(調整池)の北西の位置だ。

 

 

この“表出”送水管の側には(金山町)横田地区区長連絡協議会が設置した案内板がある。

そこには以下のような記述がある。

「伊南川発電所送水管」
この鉄管は、東北電力㈱伊南川発電所の送水管です。
直径3.6m、長さ166mのサイフォンになっています。取水口は只見町小林の伊南川右岸にあり、ここから約6kmのトンネルで結んでいます。発電所までは約1,000分の1の勾配で3.5kmのトンネルで送水します。金山町越川に落差109m、最大19,400kwを発電し、只見川の東北電力㈱本名ダムに放水します。昭和10年着工、昭和13年に運転を始めた歴史ある水路式発電所です。 横田地区区長連絡協議会

 

なぜ、当時これほどの送水管を設置しなければならなかったのか。

その時代背景や政治行政の動き、また送水管設置の過程や工事の手法など、興味が尽きない。

奥会津の水資源と首都圏との距離の近さばかりでなく、雄藩・会津の住民力なども影響したのだろうか。

後日、時間を取って調べてみたい。

そして、来年新緑の時期に「会津越川」を出発し、この表出した送水管を見に行きたいと思う。

 

 

 

その「会津越川」は伊南川発電所から約800mの場所にある。

国道252号線を進み、路地を右折すると見えてくる。

只見から数えて5つ目の休止駅だ。

会津横田~会津越川の駅間は3.2km。

只見駅からは18.4kmの地点になる。

徒歩圏には、前述の「東北電力㈱ 伊南川発電所」がある。

また、鉄路の正面には標高582mの山がある。

名は分からぬが、この山に登山道が整備されれば、只見線のビューポイントになるばかりか、手軽なトレッキングコースになるのではないかと思う。

歩くには遠いが、次駅「本名」に行く途上に湯倉温泉(後述)があり、トレッキングと温泉を組み合わせる事も可能だ。

「会津越川」は地元住民が旧国鉄に運動を起こして設置した請願駅ということだが、観光客を呼び込める可能性を秘めている。

 


 

再び国道252号線に戻る。 左に只見川を見ながら自転車を北に進める。

 

約10分後、大深入地区に入り2mほどのコンクリート壁に囲まれた東北電力㈱本名調整池(ダム湖)の船着場に到着。

2014年9月に完成した浚渫用施設だ。

堆砂の積み上げ、積み替え場所に使われると思われ、今日もダンプカーが次から次に出入りしていた。

 

その前に只見線のスノーシェッドの入り口があった。

只見線の存在が分からない方は、ここが鉄道の施設であることは分からないだろう。

このスノーシェッド抜けると、すぐに橋立トンネルに入る事になる。

 

 

さらに国道を進むと前方に橋立の集落が見えてきた。

国道を左折し、寄り道する。

只見川に架かる大型のランガー橋である湯倉橋を渡り、 橋上から対岸を眺めると、目的地である「湯倉温泉 共同浴場」が見えた。

湯倉温泉 共同浴場」は2014年(平成26)年12月1日に新築され再オープンした。

混浴から男女別になったという。

ポンプからは湯気が出て、周囲は温泉成分で変色していた。


温泉は源泉かけ流しで、只見川に流れ込んでいた。

 

協力金200円を入り口のポストのような投入口に入れて、中に入る。

スタッフは常駐していないようだ。

築後二年ということもあり、中は綺麗で、休憩室は広々としていた。

浴室は洗体スペースと浴槽が同じような広さ。 シャワーもあり、水圧も良好。

湯は茶褐色の熱め。

冷たい雨に打たれ濡れて冷えた体が、温まった。

 

先客は3人。私の後から更に1人が入ってきた。

 

湯倉温泉の概要は以下の通り。

[湯倉温泉]
泉 温:60.5℃/湧出量:60L/mim/pH値:7.3/泉質:ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩温泉
*出処:館内掲示の温泉分析書(2012(平成24)年1月17日付)


 

 

約30分ほど温泉つかり、共同浴場を後にする。

 

国道252号線に戻り、自転車を進める。

時刻は14:30。残る休止駅は一つ。列車の発車時刻は15:27。

十分間に合うと思い、ペダルを漕いだ。

 

舗装工事中の本名スノーシェッドを抜け、直角に曲がると本名ダム(東北電力㈱本名発電所)の天端上を通る。

そこから、橋桁が流出した「第六只見川橋梁」が見えた。

足元では、路線の復旧工事ではなく、只見川の護岸工事が行われていた。

 

「第六橋梁」は全長169mで、形式は「上路ワーレントラス+コンクリート桁+上路プレートガーター」の組み合わせだった。

この橋梁の大半を占めていたトラス橋は、本名ダムから放流された激流で流出した。

流出当時の様子が豪雨の翌月(平成23年8月)に発行された金山町広報の表紙に掲載されている。

橋桁を破壊してしまうほどの激流。集中豪雨に本名ダムをはじめ、上流域のダムの放出タイミングなど人為が重なりこの激流を生み出したとも言われているが、JR只見線の復旧に向けて二度と橋梁を流出させてしまう事のない対策を関係者にはお願いしたい。

 

 

国道252号線を再び直角に曲がり、坂を下る。

只見線の下をくぐり、間もなく左の路地を進み、本名集落に入る。

 

六つ目の休止駅である「本名」に到着。

直近には郵便局もあり、休止駅で最も“まちなか”にある駅だ。

 

只見駅からは24.8kmの地点になる。

会津越川~本名の駅間は6.4km。

休止駅間では最長、福島県内の只見線内でも最長の距離だ。

[JR只見線 駅間路線距離 ベスト3]
1位 只見~大白川(新潟県) 20.8km 
  *田子倉トンネル 3,712m/六十里越トンネル 6,359m

2位 本名~会津越川 、 大白川~入広瀬(新潟県) 6.4km

3位 会津宮下~早戸 5.8km

*最短路線 会津若松~七日町 1.3km

 

列車の出発時間まで約40分。 再び国道252号線にもどり、会津川口駅を目指す。

 

途中、只見線の「第五只見川橋梁」を見る。

「第五橋梁」は全長193mで、形式は「単線下路曲弦ワーレントラス+単線上路プレートガーター」の組み合わせ。

トラス橋の一部が流失している。

 

国道252号線を進み只見川を見下ろすと、只見線の路線が見えた。

枯草、雑草に覆われている。

コンクリート製の橋桁は復旧時に交換せずに使えるだろうか。

心配になる。

 

坂を下り始めると、川口地区に入った。

会津川口駅は近い。

 

 

途中、左側の側道(旧道)に入る。

そこから草に覆われた鉄路の先に、会津川口駅のホームを確認できた。

 

 

15時前に、会津川口に到着。

只見駅を出発して、約3時間20分で運休区間を自転車で走り切った。

 

自転車を畳み、輪行バッグに入れる。

まずは、会津若松までの切符を窓口で購入。

そして、金山町観光情報センターに併設されている売店に行き、町のゆるキャラ「かぼまる」と対面。

今回は衣装を着ていた。

コートだろうか、フェルト生地で作られたかわいらしい装いだった。

 

しばらく駅周辺で時間をつぶし、ホームに移動。

二両編成の折り返し列車が入線していた。

ホームには人影が無かったものの、車内には県立川口高校の生徒の他、数名の乗客の姿が見られた。


車内のBOX席に腰を下ろすと、遅い昼食を摂った。

さきほど売店で買ったおにぎりをいただく。

昭和村訪問の際にも食べた、近所の山内さんが作ったおにぎり。

今回は、ネギみその他に、しいたけ昆布を試した。

やはり、うまかった。

 

15:27、列車は定刻に出発。

只見川のそばにたたずむ大志集落を眺め、一息ついた。

 

 

会津若松に到着後、磐越西線の郡山行きの電車に乗換え、帰路についた。

 


今回は只見線の運休区間を自転車で辿ったが、沿線には観光客を惹きつけられる場所が多くあり、復旧後の集客の可能性を改めて感じた。(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「JR只見線 福島県情報ポータルサイト

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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