昨年から本格的に始めた、“観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今年最初は、JR只見線の列車を利用して会津西方駅から登山口に向かい、柳津町の「黒男山」(980.4m)に登った。
「黒男山」は「会津百名山」の第67座で、「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)には次のような見出しが記述されている。
黒男山 <くろおとこやま> 980メートル
耶麻郡西会津町と河沼郡柳津町の境に位置する黒男山は、元気が出る山とか、面白い名前の山として有名である。特に女性が登ると「黒姫黒男山」となり、縁起が良いといわれている。[登山難易度:上級]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p148
“くろおとこやま”とはユニークが名だが、会津藩が享和3(1803)年から文化6(1809)年にかけて編纂したという「新編會津風土記」には以下のような記述がある。
[麻生村の項]*「大日本地誌体系 第33巻」p282(147コマ)
黒床山
端村樫尾の西一里餘にあり、高九十丈、南は水沼村に界ひ北は黒澤村の山に界ふ
ー ー ー ー ー
[黒澤村の項]*「大日本地誌体系 第33巻」p305(158コマ)
黒床山
村西一里十八町にあり、頂まで二十町、麻生村と峯を界ふ、雜木多し
*出処:新編會津風土記 巻之九十三「陸奥國河沼郡之六 河沼郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)
「新編會津風土記」に記述されている“くろとこやま”は、説明書きの位置から「黒男山」に間違いない。これについて前掲のガイダンスには、次のように記述されている。
『新編会津風土記』を調べてみると・・・(中略)・・・位置は同じだが山名が違うのに気づく。陸地測量部の調査時の誤記のように思えるが、どちらが正しいか今となっては分からない。
“くろとこ”と“くろおとこ”、真ん中に“お”が入るか入らないの違いで、滑舌よく読み上げないと同じに聞こえてしまう。参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院の前身)のスタッフが、現地調査で住民の会津訛りから勘違いしたのか、国威高揚から敢えて勇ましい名に改名したか不明だが、地域に根付いたいた名が変わったという話は面白く、このような事例は全国にあるのではないかと思った。*参考:国土地理院:沿革「国土地理院のあゆみ」(PDF)
「黒男山」(980.4m)は、西会津町の大滝集落登山口から登山者が多いようで、柳津町からは林道大山美坂高原線の尾根取付の藪道を利用した山行録がネット上にわずかに見られる程度だ。*参考:西会津町「西会津ぐるっと山ネットワーク」トレッキングコース「黒男山コース 大滝(黒沢)~黒男山~大滝」
今回、私は三島町の美坂高原から柳津町に入り、「黒男山」山頂の東にある“909mピーク”の尾根取付を探し、登山道ではない斜面を登り始める計画を立てた。登山口から入山しない登山は初めてで不安はあったが、地理院地図やGoogle Maps®を何度も見返し、シミュレーションをした。また、“909mピーク”からは踏み跡があり不明瞭でも尾根を歩くので迷う可能性は少ない、との情報を他の方々からの山行録から得ていたので、『909mピークまでたどりつけば何とかなる』と考えた。
今日の旅程は以下の通り。
・会津若松から只見線の列車に乗車し、美坂高原の最寄りである会津西方(三島町)で下車
・輪行した自転車で美坂高原に向かう
・高原内の施設に自転車を置いて「黒男山」登山を開始
・「黒男山」登頂後は、往路を下山し美坂高原に戻る
・下山後、美坂高原から、只見川左岸をたどり、柳津町市街地に向かう
・柳津町市街地では、名物「ソースカツ丼」を食べ、日帰り温泉施設で湯に浸かる
・会津柳津から只見線の列車に乗って、会津宮下で下車し今日の宿に向かう
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春ー
22:58、会津若松に到着。駅舎を出ると、駅頭の赤べこのお尻の光沢が増しているような気がした。
正面に回ると、塗りな直されているような印象を受けた。“洗牛”しただけであろうか。
今朝、宿を出て会津若松駅に向かった。鼠色の雲が上空に広がり、小さな雨粒が空から落ちていた。天気予報は曇りのち雨で、登山が終わるまで何とか降らないで欲しいと思ったが、出鼻を挫かれた。
折り畳み自転車を担ぎ駅舎に入り、切符を買い、改札を抜け連絡橋を渡った。只見線の始発列車、会津川口行きは入線していた。
先頭車両に乗る一人の客を見遣り、誰も居ない後部車両に乗り込んだ。結局、私以外誰も乗り込まず、西若松から乗車した一人の客も会津高田で降りてしまった。
6:03、列車が会津若松を出発。会津西方までの運賃は860円。
列車は、七日町、西若松を経て、大川(阿賀川)を渡る。
会津高田を出発し、列車は右大カーブを快調に駆け抜けた。
一本桜がある稲荷神社の手前の田んぼには、水が張られていた。今年も質の高い会津のコメができることを願った。
列車は、上り列車とすれ違いを行った後に出発し、七折峠に向かう。会津五桜「杉の糸桜」を境内に持つ薬王寺付近の桜も満開だった。
登坂途上、木々の切れ間から会津坂下町を見下ろす。雲に覆われ会津盆地を囲む山々は見えなかった。
続いて、列車は月光寺境内を貫く。桜は咲いていたが、咲きっぷりは今一つだった。
郷戸の手前の“Myビューポイント”を通過。昨年末に登った、「飯谷山」(783m、会津百名山86座)の頂上は厚い雲に隠れていた。*参考:拙著「柳津町「飯谷山 登山」2020年 初冬」(2020年12月6日)
7:25、会津西方に到着。雨は降り続けていた。
待合室に荷物を降ろし、折り畳み自転車を組み立てた。
桜越しに列車を撮影しようと、国道400号線を西会津町方面に進んだ。崖上の桜並木に到着すると、まもなく、私が降りた列車が会津宮下ですれ違いをした、上り列車がやってきて、シャッターを切った。
気のせいか昨年より桜の木の枝が少なく、期待した構図の写真とはいかなかったが、良いと思える一枚となった。
国道を引き返し、駅を通過し整備された「第二只見川橋梁」ビューポイントに行く。工事が終わったようで、只見川側に柵が設けられ、水平に舗装された空間になっていた。
ビューポイントの柵の前に立つ。上路式トラス橋の特徴が分かる眺めだった。
7:53、国道400号と美坂高原に向かう町道の分岐から、登坂を始める。只見川に架かる朱色の三島大橋と、遠くに「三坂山」(831.9m、会津百名山82座)の頂上が見えていた(標高233m)。*標高の出処は地理院地図
大石田集落の入口を過ぎ、初尾沢を渡り、美坂高原に向かう町道が再び上り坂になる場所に“通行止”のバリケードが置かれていた(標高332m)。積雪し除雪されないため冬期通行止めになるとは聞いていたが、何かあったのだろうかと思った。
坂を上り始めると、通行止めの理由が分かった。雪はまったくなかったが、30cmほどの落石が崖下に多く見られた。
山肌に目を向けると、あちこちに山桜が見られた。天気が良ければ、良い春の景色だと思った。
8:45、林道大山美坂高原線の分岐に到着(527m)。
左側、開けた場所から見下ろすと、国道の分岐付近には雲が掛かっているようだった。
分岐を左に曲がり、大きな駐車場に入ると崖側に満開の桜が並んでいた。
陽が照っていれば、より綺麗に見えただろうと、残念だった。
少し先に進むと美坂高原の管理棟が現れた。入口にチェーンは張られておらず、そのまま進んだ。
美坂高原の南側には「三坂山」の登山口があり、管理棟にスタッフが居た時は声を掛ける必要があったという。
高原内には、彫刻家・三坂制(1949-2013)氏の作品「山のはなし」が置かれている。
8:54、美坂高原に到着(標高563m)。途中から自転車を押し、国道の分岐から約1時間かけて登ってきた。高原の一部には雪が残り、こぶしの白い花が春の景色を創っていた。
自転車にまたがり、高原内にめぐらされた作業用の舗装された道を、西に向かって進んだ。
作業道が北に変わると、正面に“909mピーク”のきれいな稜線が見えていた。以前は、この山が「黒男山」と思い込んでいたが、「黒男山」はこの山に隠れて見えなくなっている事を、今回の登山計画で知った。
作業道には、雪の影響か、枝が多く落ちていた。自転車を慎重に進めた。
作業道の舗装もここまでということで、自転車を「百年杉の家」の雪囲いの中に置かせてもらった。
9:03、未舗装の作業道を進み登山を開始(標高565m)。この付近には山の神を祀る祠があるということだったが、見つけられなかった。
作業道を進むと、まもなく、残雪を上を歩くことになった。
作業道が北西から西に変わる付近に、会津若松地方森林組合が設けたバリケードがあった。
ここから50mほどの先に尾根の取付きがあった。
9:10、作業道からは切り立っていたが、“入口”が開け、その先は思いのほか厳しい斜面ではなかったので、ここから取付き、「黒男山」登山を開始した(標高590m)。
林道の境界の急な土手を登り無事に取り付くと、クマザサの中を進んだ。
その先、倒木を潜って進んだ。
そして、しばらく直登すると前方に杉林が現れた。
杉林の中に入ると、雨が遮られ、杉の葉が堆積していることで足の負担が減り、一息付けた。
杉の枝にはピンクのテープが巻かれていて、誰かが通った“登山道”であることが分かりホッとした。
杉林の中から西側の斜面を見ると、こちら側よりキツイ傾斜だった。東側が谷になっていることを考えても、この尾根取付きが間違っていないと確信した。
杉林の後半は傾斜がキツクなり、杉の落葉に足を取られ、何度か滑ったが何とか抜け出すと、緩やかな尾根になった。
そこから、しばらく進むと足元にカタクリの紫の花を見つけた。
ここで振り返ってみると、枝木越しに美坂高原が見えた。葉が生い茂れば見られない、この時期の光景だと思った。
先を進む。巨大なブナの倒木があった。奥会津の山に登り始めてから、倒木を見ると命を考えるようになった。倒木の栄養分が周辺に新たな芽吹きを生む、という命の循環。
尾根はヤセていて、踏み跡が無くても、迷うことはなかった。何より葉が生い茂っておらず、前方が見通せるので登山道が無くても進むべき方向がはっきりと分かり、さらに安心できた。不安のある山は、融雪後のこの時期に登るのが一番だと実感した。
尾根筋には、これから春を迎える植物が多く見られた。キクザキイチゲだろうか、あと数日もすれば花開くであろう姿だった。
若木や枝の蕾は、いたるところに見られた。
枯葉から出ていた不思議な模様の葉。自然の多様性を感じた。
小雨降る中、熊鈴を鳴らし、時に笛を吹いて進むと、前方に尾根筋が見えた。
尾根が近づくと、残雪が多く見られた。
10:03、“909mピーク”に続く尾根に到着(標高880m)。分厚い雪の上を、西に向かって進んだ。
ネットで見た山行録には『この付近から踏み跡が現れる』とあったが、不明瞭でだった。しかし、この尾根も比較的切り立ち、踏み跡が無くても進むべき方向を迷うことはなかった。ただ、膝高のクマザサと藪に難儀した。
前方に頂きが見えた。この時点では『黒男山だっ!』と思ったが、実際は頂上から東に200mほどにある尾根ということが、このあと分かった。
“909mピーク”までには、何箇所か残雪があり、枝を押し下げていた。
残雪が消えると、尾根の踏み跡は、徐々に鮮明になってきた。
尾根筋には、大きいなブナがあった。切り立った尾根にありながら、吹き曝しの風雪に耐えここまで成長したことに驚いた。
まもなく、前方が開けた。
10:11、“909mピーク”に到着。木々に覆われ眺望は無かった。
“909mピーク”を越えると、短い区間だったが、尾根筋の大半が藪に覆われ、枝の反発力が強い箇所となった。体力を消耗した。
再び、踏み跡が鮮明になり、登山道らしくなった。ただ、両足がぴったり地面に付くような歩きやすい場所は続かず、柳津町から入る登山者が少ない事を感じた。
“909mピーク”から10分ほど歩くと、鞍部にむかって尾根筋が下りになった。
ここでは、右手が大きく開け、これから向かう尾根がはっきり見えた。
足元に気を付けながら慎重に進んでゆくと、足元に桜の花びらのようなものが点在していた。
立ち止まり、腰を屈め良く見ると、イワウチワだった。この群生はしばらく続き、この“登山道”の名所ではないかと思った。
鞍部の手前で木々の間から右側、東に目を向けると渓谷があった。晴れていれば、良い景色が見られるだろうと思った。
鞍部から上りとななり、先に目を向けると、巨大なブナがあった。見ごたえがあった。
鞍部から5分ほど歩くと、前方に尾根が、うっすらと見えた。
尾根の合流手前は激しい藪で、直登はできなかったので、トラバースした。
藪を抜けて尾根に立つ(標高953m)。踏み跡が西に緩やかに延びていて、右(北)側は切れ落ちていた。途中で見えていたこの尾根が「黒男山」でなかった事を、ここで知った。
この尾根は、柳津町と西会津町の町境になり、切れ落ちた右側(西会津側)の眺望は良く、ここでも『晴れていれば...』と思ってしまった。
尾根筋を少し進むと、右(北)に稜線が見えた。西会津町の大滝登山口からの登山道のようだった。
合流点を過ぎると、「黒男山」頂上は目の前。北側の一面に雪を残した尾根筋を進んだ。
まもなく、前方が頂上のような趣きになった。
10:57、「黒男山」山頂に到着(標高980.4m)。「百年杉の家」前から1時間54分掛かった。山頂は、事前の情報通り、刈払いされ、開けていた。
山名を示す杭標は無く、「黒男山」と墨書された板が針金でブナに巻かれていた。
「黒男山」は二等三角点峰。標石に触れ、登頂を祝った。
南(柳津町)側は開かれ眺望が良く、沼沢湖が見えるという事前情報だったが、今日は雲に覆われ見えなかった。
北(西会津町)側は南側の開放感ほどではなかったが、視界を塞ぐような木々は少なかった。しかし、ガスと雲で全体が覆われ何も見えなかった。
頂上の先、西側には「二王杉山」(909m)、新潟県境の「高陽山(三ツ森)」(897m)に続く踏み跡が見られた。
新潟県側を背に、頂上の様子を見る。山名などが記された標杭があった方が、登頂の実感が湧くと思った。
頂上は、北側の雪上を越えてきた冷たい風が吹き抜け、雨に濡れた体が一気に冷えた。
11:14、写真を撮り、水を飲んで、下山した。
体を温めようと、急ぎ足で下ったが、最初の分岐を右に曲がらず、通り過ぎてしまった。尾根の傾斜と生えている木々の違いに違和感を覚え、50mほど進みロストしまった事に気付き、分岐に引き返した。「国土山」でも同じ間違いをしたが、踏み跡の無い登山に油断や慌ては禁物だと、痛感した。
分岐の誤侵入の後は、往路を忠実に引き返した。
12:39、慎重に作業道へ下り、作業道に接する取付に無事に戻ることができた。雨は、いつのまにか止んでいた。
12:47、「百年杉の家」に戻ってきた。下山の所要時間は1時間33分だった。
「黒男山」登山を終えて。
柳津町側からの「黒男山」美坂高原“登山口”は、登山道が整備されておらず、他の登山者によるネット上の記録が少なく不安だったが、問題の“909mピーク”への取付を無事踏破したことで、想定時間内に登頂することができた。
今回は「百年杉の家」の先に延びる林道の途中から取付いたが、他の方の山行録には、林道終点から取付き、“909mピーク”に直登するというルートもあった。但し、こちらも登山道は無く、尾根を目指して厳しい斜面を登るしかないという。さらに、夏から秋にかけては藪や木々には葉が生い茂り、取付きや尾根が不明瞭となり、現状のままでは、登山に慣れた方以外が、美坂高原からは登る事は困難だと思われる。
只見線を利用して「黒男山」に登るためには、美坂高原登山口の整備が欠かせない。今回の登山で、以下3点は最低必要だと感じた。
①“909mピーク”の取付をどちらか選び、入口の案内と、急登箇所にヒモ場を設ける
②“909mピーク”の前後の尾根の藪の刈払い
③「黒男山」頂上手前、南東にある953mピーク手前の藪の刈払いと、尾根道を間違いないよう注意喚起を促す案内板の設置
登山の後は、昼食と温泉。
「百年杉の家」の“置き場”から自転車を取り出し、熊鈴と笛をリュックサックに入れ、体を冷やさぬよう急ぎ、柳津町の市街地を目指してペダルをこいだ。
美坂高原を出て林道大山美坂高原線に入り、4年ほど前に間違った分岐に到着。今回は間違えることなく、右側の林道大林線を進んだ。
アップダウンのある林道を進み、三島町→柳津町→三島町と出入りし、頂上から下り坂となりしばらく進むと「大林ふるさとの山」に入る。オオヤマザクラは見頃を迎えていた。
斜面の地表にはカタクリの花が一面にあったが、雨で気温が低いせいか、花びらが開いたものは少なかった。晴れていれば、オオヤマザクラとの共演は見事だろうと思った。
例年ならば「カタクリさくらまつり」が開催されているが、今年も新型コロナウイルスの感染拡大防止ため中止となった。三島町は感染者が一人も出ていないが、高齢化率が高いこともあり、イベントは軒並み中止となっている。来年、多くの方が、晴天の下、この美しい花々の共演を見られる事を願った。
林道を下りきり、西方地区の街並みを通り抜け、国道400号に入り再び柳津町に入り、杉峠に向かう分岐で県道343号(飯谷大巻)線を西に進んだ。そして、県道が北に進路を変えしばらく進むと、前方に麻生集落(旧麻生村) が見えた。
さらに自転車を進め、麻生大橋のたもとを通り抜け、木々の切れ間から振り返って麻生大橋を見ると、幻想的な光景で、只見川に発生した霧が風景に趣きを与えていた。
湿った空気が、雪解け水が流れる只見川の冷えた表面に触れ、大量の川霧を発生させているようだった。
只見川の川霧は夏場の風物詩だが、水温と空気の温度と湿度などの条件が合えば、発生するのだろうと考えながら、川沿いの道を進んだ。
柳津発電所・ダムの川下には、柳津町市街地が広がっている。
柳津町を象徴する二本の朱色の下路式ニールセンローゼ橋である、瑞光寺橋(右)と柳津橋(左)が霧掛かった空間でも際立っていた。
県道を進み、飯谷地区から町道に入り飯谷大橋を渡り、国道252号線に入り再び北上。
14:44、道の駅「会津柳津」に到着。昼食はここで、と計画していたが想定より1時間30分も遅くなってしまった。体力の衰えを実感した。
観光物産館清柳苑の入口では“やないづあかべこ親子”の娘・あいちゃんがお出迎え。
館内に入り、券売機で食券を購入し、食堂に入る。まもなく、かけそばと柳津町名物「ソースカツ丼」のセットが運ばれてきた。
「柳津ソースカツ丼」を食べるのは、7店舗目。“元祖”の店である「すゞや食堂」の盛り付けに似ていた。
食べてみる。
肉厚だが、柔らかいカツに、半熟だが、かたい部分もある卵焼きは、見た目同様「すゞや食堂」の食感だった。
卵焼きとゴハンの間にある千切りキャベツはシャキシャキで、間違いなく「柳津ソースカツ丼」の旨さで、腹がペコペコだったこともあり、箸は休まらず一気に食べてしまった。
「柳津ソースカツ丼」は、カツの肉感と柔らかさはちろんだが、卵焼きに店の特徴が現れ、客の好みも分かれるのではないか、と思った。柳津町観光協会に掲載された「柳津ソースカツ丼」の店は9店。今後、残り2店を訪れ、自分にとっての一番の「柳津ソースカツ丼」を決めたいと思う。
昼食を終え温泉に向かう途中、只見川の堤防に上り、瑞光寺橋越しに「福満虚空藏菩薩 圓蔵寺」を眺めた。桜は満開で、晴れて、陽光を浴びた桜の花が映えれば、素晴らしく美しい光景だろう、と思った。
ガラス張りの浴室から、満開の桜並木と瑞光寺橋を眺めながら、ゆっくりと湯に浸かり、湯上り後は濡れた服を乾かし、1時間以上館内で過ごした。登山で強張った下半身がほぐされ、身体も芯から温まった。「飯谷山」登山の際も、ここを利用したが、会津柳津駅も近く、食堂も併設されていることから、ここは只見線乗車の観光客にとって沿線屈指の日帰り温泉であると心底思った。
柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉)
・泉温:56.3℃ (pH7.8)
館内を出て、只見線が境内を貫く月光寺の方向を眺めた。満開の桜が中心に並び、良い景観だと改めて思った。
続いて、崖の上の建つ本道(菊光堂)を見上げた。
この場所から、只見川に下りてゆく側道があるが、ここの桜も見事に咲いていた。桜、川霧、柳津橋の構図も良かった。
柳津名物「あわまんじゅう」の店で、つぶあんを取り扱っている「稲葉屋菓子店」が閉まっていたため、今回は食べるのをあきらめた。
県道の緩やかな坂を上ってゆき、駅が近づくと、桜のトンネルができていた。見事だった。
17:49、会津柳津駅に到着。駅舎南側に建設中だった公衆トイレは完成し、風景に溶け込む外観に仕上がっていた。
駅頭にあるポストには、赤べこが載っている。何度か見ていたつもりだが、改めて見ると、めんこいな、と思った。
駅舎に入ると、待合室には大型のボードが設置され、町の風景を映した写真が飾られていた。
17:54、まもなくやってきた下り列車に乗り込み、会津柳津を後にした。
今回は「黒男山」登山後に、長駆、柳津町の市街地を訪れたが、実際は距離があり、この移動は万人に勧められるものではないと私は思う。地理的に、「黒男山」登山は、只見線沿線では三島町が起点となる。
只見線を利用して「黒男山」登山に臨んだ場合、三島町の会津西方駅か会津宮下駅で乗下車することになる。また、美坂高原は同じく会津百名山の「三坂山」の登山口があることがから、二つの山を同日に登るという事も考えられ、三島町を訪れる客を増やす事になり得る。
「黒男山」登山口(909mピーク取付)を整備するのは柳津町内になるが恩恵を受けるのが三島町、となると、整備は只見線利活用にからめた福島県の事業にする必要があると思う。
「会津百名山」は“観光鉄道「山の只見線」”の周知と認知に必要不可欠なコンテンツだ、と私は考えている。只見線の利活用を中心となり進めている福島県は、沿線の「会津百名山」に登ってみたいと思う県内外の客を増やすため、登山道の整備や、登山前後に関わる宿や食の充実に、沿線関係者と協業し努めて欲しい。
私を乗せた列車は、郷戸から滝谷を経て、三島町に入り会津桧原、会津西方と陽が暮れ薄暗くなった中を進んだ。
18:17、会津宮下に到着し、宿に向かい、今日の予定を無事に終了した。明日は、会津宮下駅周辺の桜を見る予定だ。
昨年は6座に登り、只見線を利用した「会津百名山」登山は15座となった。
今年も、“観光鉄道「山の只見線」”の重要なアクティビティである登山を通して、沿線の魅力を確認するとともに、乗客や観光客が増えるような方策を考えたいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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