只見町「要害山」登山 2016年 初夏

只見四名山”の一つ「要害山」に登るため、JR只見線を利用し只見町に向かった。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」 (2013年5月22日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 

 


 

  

早朝、郡山駅上空には青空が広がっていた。

5:55、磐越西線の始発電車に乗り、まずは会津若松に向かった。

 


 中山峠の沼上トンネルを抜け会津地方に入り、猪苗代手前、先日のNHK「ブラタモリ」で紹介された「磐梯山」は雲に覆われ見えなかった。

 

 

 

定時に会津若松に到着。屋根瓦の“正門”と脇にた佇む赤べこ、そしてやや前面にある白虎隊像、この3点セットが会津若松を実感させてくれた。上空には青空。只見町も大丈夫だろうと期待した。

   

駅構内の連絡橋には、熊本観光をPRポスターがズラリと並んで掲示され、熊本県の公式キャラクター「くまもん」が全てに掲載されていてた。

ポスターの“訴え”を邪魔せず、熊本であることを確実に認識させる「くまもん」。その存在の大きさを改めて感じた。熊本にも行かなければならない、と思った。

  

 

只見線のホームには白いシャツ(ブラウス)が目立つ高校生の姿。今日は一学期の終業式。生徒達は徐々に増え、ホームを満たした彼らの活気に夏本番到来を感じた。

私は、会津川口からやってきた折り返し列車に乗り込んだ。

7:37、会津川口行きの下り列車が定刻に会津若松を出発。

 

  

七日町西若松と市街地にある駅を過ぎ、阿賀川を渡ると田園を間を走る。“強藩”会津を支えた力の源泉を実感できる広大な田園風景だ。沿線は季節によって風景が変わり、田園の中を疾走する列車の撮影スポットでもある。

 

会津本郷を出発直後に会津美里町に入り、県立大沼高校のある会津高田で乗客の1/4程度下りたが、しばらく車内は生徒が“占有”していた。列車はこの大量の通学者を乗せるため、車両は3両編成だったようだ。

  

  

列車は根岸新鶴を経て、若宮の手前で会津坂下町に入り会津坂下に停車。県立坂下、県立会津農林の二校の生徒を降ろすと、私の車両には私を含め3名だけになった。

      

会津坂下を出発後は、七折峠を登坂し山間部の緑の木々の中を進んだ。塔寺会津坂本を経て柳津町に入り会津柳津郷戸滝谷と各駅に停車してゆく。

 

 

 

滝谷川橋梁を渡り三島町に入り、会津桧原を出ると間もなく「第一只見川橋梁」を渡り、只見川との付き合いが始まった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

  

 

  

会津西方を出発直後に「第二只見川橋梁」を渡り、会津宮下を出てからは東北電力㈱宮下発電所・宮下ダムの直近を駆け抜けた。対岸には国道252号線のスノーシェッドが延々と続いている。

   

 

早戸に停車。青空があると風景が映える、と思った。

 

 

会津水沼の手前で金山町に入り、「第四只見川橋梁」を渡り会津中川を経て大志集落の脇を通り過ぎる。振り返り、家並みを眺めた。

 

 

 

トラスドランガー式の上井草橋を下を通過。幅5mの林道橋ながら全長が154mもある。“ダム湖が連なる”只見川ならではの橋梁だ。



   

現在の終点・会津川口に到着。ここから先は運休区間。代行バスに乗り継がなければならない。

  

ホームと駅舎を結ぶ通路付近にはシニアの方々が。

各々が一眼レフカメラと三脚が持たれていた。列車内に彼等の姿が無かったことから、会話からも“撮り鉄”諸氏と察せられた。是非、只見線に乗車もして欲しいと思った。

   

駅構内に入ると、売店内にある金山町観光情報センターには町のゆるキャラ「かぼまる」がいた。

今回は浴衣姿になっていた。前回は“新入生”。どうやら季節ごとに着せ替えしているようだ。

名物「大塩炭酸水」をイメージした水玉の蝶ネクタイもしっかり見えて、良い着こなしだと思った。これで温泉をイメージした「桶」が見えれば完璧だが、難しいか...。

  

代行バスの出発まで46分。以前に訪れた、この先の不通区間の一部を見ようと駅を出て向かった。天気は問題なさそうだった。

   

10分ほどで、現場に到着。雑草が生い茂るのり面や地表と一体化した鉄路があった。

 

地図に記載されている鉄道路線とは思えない光景。レールの錆び具合も痛々しかった。

 

会津川口駅方面を見る。部分運休の現状、その重さを感じた。

 

   

駅に戻り、代行バスに乗車。運転手は以前(今年2月19日)と同じ女性ドライバー。乗客は、私の他一人。平日のJR只見線。利用者を増やさなければならない、とまた思った。

10:26、代行バスが会津川口を出発。

 

 

国道252号線を進むと、間もなく「平成23年7月新潟福島豪雨」で一部流失した「第五只見川橋梁」が見えた。

  

本名駅前に設けられたバス停を過ぎ、本名ダム(東北電力㈱本名発電所)を渡る。眼下に流失した「第六只見川橋梁」がある。橋脚付近では護岸工事が進められていた。

   

代行バスは会津越川会津横田会津大塩の各休止駅の近く、国道252号線沿いに設けられたバス停で停発車を繰り返して進んだ。車内では、椅子の狭さや路面状況による振動を感じた。高齢者は『できれば乗りたくない』だろうと想像した。


 

  

滝トンネルを潜りぬけ、只子沢を渡り只見町に入り、会津塩沢会津蒲生となっているバス停を経て、定刻に只見に到着。上空には変わらぬ青空が。天候に恵まれた。駅後方には、これから登る「要害山」がそびえていた。

   

只見から先、終点・小出(新潟県魚沼市)までは通常運行区間だ。

 

小出行きの列車は一日3本。

  

レール表面が輝いているほどではないが、“走っている”事が理解できる光り具合だった。

   

反対側、会津若松方面のレールは錆びつき、路盤には列車の車高を超える草が生い茂っていた。

只見線に“乗る”ことの価値、運休区間の自治体である金山町と只見町の魅力を発信し、一日でも早い全線復旧を成し遂げなければならいない、とまたまた思った。

 

 

 

「要害山」登山を開始。  

まず、駅構内にある只見町観光まちづくり協会を訪れ「要害山」登山の地図を頂き、熊の情報を得る。『目撃情報が無いが、熊鈴があれば大丈夫』と言われた。

今日事務所にいたスタッフは全員女性で、その対応も含め、町の観光振興への熱意が感じられた。

   

駅から歩いて「要害山」登山口に向かう。踏切を渡り、宮の沢登山口のある滝神社へ。直近にあり、駅のホームから見える。

   

神社の右脇を抜け宮の沢登山口に到着。「要害山」山頂を目指した。

  

 

歩き出して2分で面をくらう。地図に『沢を渡る』と書いてあったが、沢に踏み石が無かった。靴が防水で無かったので、靴下が少し濡れてしまった。

春先は雪解け水で水量があるだろうから、防水機能を備えた登山靴がよいだろうと思った。

  

 

登山が本格化すると、また驚いた。標高705mを馬鹿にしていたわけではないが、あまりの急こう配に、しばし茫然とした。補助用の虎ロープまで垂らしてあった。覚悟を決めて登った。

  

 

登山開始から10分。眼下には只見町が広がっていた。10分でこの景色ならば、頂上に行けば更なる絶景があるのでは、と期待が膨らんだ。

 

 

登山開始15分で「一服尾根」に到着。

 

只見駅など町の中心部が欠けてしまったが、右(西)奥には田子倉ダム、その奥に未丈ヶ岳~大鳥岳~毛猛山の稜線が見えた。

“一服”を終え、滴る汗をぬぐいながら、再び急こう配を進んだ。

  

 

しばらくすると、前方に巨木があり、根元に「ブナ太郎」と掛かれた標杭が立てかけられていた。雪国の山の斜面にそびえる巨木に、感心した。

 

  

  

  

  

登山開始から30分。「要害山」山頂に到着。事前に『夏場は葉が邪魔して見晴らしは良くない』との情報を得ていた為、あまり期待はしていなかったが、山頂という感覚がそうさせるのか、良い眺めだった。

  

山頂付近には複数のテレビ・ラジオ塔が建っていた。要害山はインフラを支える“要”ともなっているようだ。


 

5分ほど滞在し、下山を開始。当初は宮の沢登山道を往復する最短ルートと考えていたが、あの急こう配を降りるのは危険と思い直し、地図に掲載された南尾根登山道を利用した。

  

しかし、ここでも驚く。こちらも結構な急こう配。虎ロープが配置されている場所もあるほどだった。足を挫かぬよう慎重に下った。

 

 

しばらく進むと、木々の間からは只見ダム湖と田子倉ダムの巨大な躯体が見えた。

 

大自然の中の巨大な人造物。建設当時の苦労と、只見線の役割を思った。

   

只見町を見下ろすと、宮の沢登山道とはまた違った趣きだった。伊南川が只見川に合流する地点がはっきりと見られた。

 

   

しばらく下ると、白い岩肌があった。見晴らしが良好。

 

北西には雪食地形が見え、「春の夫婦滝」があるという山の斜面。*参考:奥会津 只見川ライン商工会復興支援員のブログ「奥会津只見川ライン」 雪食地形(2017年5月11日) URL: http://tadamigawarain.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

 

南東は只見町を一望できた。「要害山」で一番のビューポイントではないかと思った。

 

 

後半は、なだらかな登山道が続いた。

 

 

 

下山開始から約40分で南尾根登山口に到着。

  

しばらく歩くと三石神社があったが、その鳥居のすぐ脇の登山口案内板の側に“クマ出没 注意”標識が建てられていた。宮の沢登山口にはなかったので、思わず『今さら...』と笑ってしまった。

   

登山に30分、下山に40分、登山口への移動が合計20分。「要害山」登山は、只見駅を起点に約1時間30分かかった。十分、日帰りコースになると思った。

  

登山を終え、駅の只見町観光まちづくり協会に立ち寄り、登山記念のバッジを頂いた。

登山前にスタッフから『下山したらまたこちらに寄ってください。バッチをお渡しします』と言われていたが、ずっしりと重いつくりで、「2016」とも刻印されていた。

「TADAMI4MEIZANN」(只見4名山)と刻印されていることから、他の「蒲生岳」、「浅草岳」、「会津朝日岳」を登ると、それぞれ頂けるのだろうか。*只見町「只見四名山山開き

  

 

 

昼食は、駅から5分ほど歩いたコンビニの2階にある「マトン ケバブ Cafe」に行き、味付けマトンケバブを頂くことに。

羊肉特有の香りは残るものの、柔らかくジューシーで美味しかった。また、450円でこの味とボリュームはありがたいと思った。

このマトンケバブは只見町のB級グルメとなっているようだが、もともとは田子倉ダム建設に携わった労働者に羊肉(マトン)を提供するためにこの地に普及したのだという。

 

昼食後、しばらく町中をぶらつき、14時32分発の代行バスで只見を後にした。

滞在時間は3時間17分。「要害山」に登り、自然と景色を堪能し、名物も頂いた。只見町にまた来たいと思った。次は紅葉の秋に「蒲生岳」に挑戦してみたいと思った。

   

  

代行バスの車窓からは「第八只見川橋梁」が一望できた。後方には“只見四名山”の一つ「蒲生岳」。

今すぐにでも列車が走れそうだが、JR東日本によると復旧費用は45億円と、運休区間の復旧費用(85億円)の半分以上を占めている。福島県や沿線自治体はこの費用の精査を求めるべきではないだろうか。*参考:JR東日本「只見線について」(2013年5月22日)(PDF)

  

 

定刻通りに会津川口に到着。只見町が「ユネスコエコパーク」に登録された事を記念にラッピングされた車両に乗車した。

 15:27、会津若松行きの列車が会津川口を出発。

  

  

帰路は、只見川沿いを含む山間を駆け抜けたのち、

 

七折峠を下った後は田園の間を進んでいった。

 

 

 

17:16、会津若松の一つ手前の七日町で下車。ホームの端から「磐梯山」がくっきりと見えた。

  

 

駅から七日町通り(国道252号線)を歩き、若松の中心部である神明通りに向かった。

道路は共同溝の工事中で、歩道の拡張・整備と電柱地中化が進められているようだ。同時に無散水消雪装置も埋設するようで、通年を通した“街歩き”が楽しめそうだと思った。*参考:福島県会津若松建設事務所[「工事情報 国道252号線 会津若松市七日町地内 無散水消雪装置を整備しています」(PDF)(平成28年2月1日)

   

後日、七日町をゆっくり歩いてみたいと思った。

   

会津若松市のメインストリートである神明通りに到着。*参考:会津若松 神明通り商店街 URL:http://aizu-shinmei.com/jp/index.html

アーケードはなく、夏空が広がっていた。撤去されて初めての夏を迎えるが、灼熱の太陽の下、市民や観光客は何と思うだろうか。*参考:会津若松市「会津若松市の中心市街地活性化について」URL:https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2013020400048/

    

神明通りを駅方面に歩き、左折、野口英世青春通り沿いにある居酒屋で“一杯”、と思って暖簾をくぐったが『予約で満席』とのこと。そこで、駅前のラーメン二郎で夕食を摂り、帰る事にした。*参考:福島県観光情報サイト ふくしまの旅「野口英世青春通り

 

  

 

19:04、磐越西線の快速列車に乗り会津若松を後にして、自宅のある郡山に向かった。疲れたが、充実した一日となった。

 

 

(了)

  

  

[追記]

「要害山」は「会津百名山」の第91座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p104

要害山 <ようがいさん> 705メートル
要害山とは天然の砦で地勢が険しく守るに良い所として、戦国時代山頂に砦を築いていた山で、各地に多く見られる。[登山難易度:初級]

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県  生活環境部 只見線再開準備室

 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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