乗り納め(全線乗車 会津若松⇒小出) 2018年 冬

会津若松から小出まで、JR只見線を全線乗車し、2018年の乗り納めとした。

今年の只見線乗車は、1月8日の全線乗車(小出→会津若松)からはじまり、今日で20回となった。車窓からの景色と沿線の自然を中心に、只見線乗車の旅は充実したものになった。

 

今冬は雪が少ないようで、今回の旅は雪景色が車窓に流れるとはいかなかったが、代行バス区間を含め4時間4分の乗車時間を楽しく過ごす事ができた。


昨夜は会津坂下町で「馬肉」と「地酒」を楽しんだ後、会津若松市内で宿泊。

今朝は、只見線の始発列車に乗るため、早くに宿を出た。

 

街灯以外、未だ真っ暗だったが、神明通りのアーケードは冴えたLED照明で輝き、浮かび上がっていた。

 

会津若松駅に到着。闇の中でひっそりと明かりを灯していた。

 

駅舎に入り、有人改札で切符に検印を入れてもらう。今日は新潟経由で郡山に戻るため、「青春18きっぷ」を使う。

連絡橋上から只見線のホームに待機しているキハ40系を見下ろす。黒と白系の色彩空間の中、2色のグリーンのラインが際立っていた。

列車は二両編成で、後部車両がロングシート車両であるため、全ての客は一両目に乗車していた。

私もこの車両の二人掛けBOXシートに座った。

 

6:00、会津川口行きの列車が出発。運休前のダイヤ通りならば、2021年度の全線再開通後、この列車の行き先は小出になる。

 

列車は、七日町西若松を経て、只見川が合流する阿賀川(大川)を渡り、会津本郷を過ぎた直後に会津美里町に入り、会津高田根岸新鶴と刈田の中を進んで行く。

まだ、夜が明けず、室内灯の方が明るいため、車窓から外景を見る事はできなかった。

 

若宮手前で会津坂下町に入り、会津坂下に停車。ここで会津若松行きの上り列車とすれ違いを行う。上りホームには多くの客が居た。

会津坂下を出ると、七折峠を越えて、奥会津地域に入る。

今日は早めにディーゼルエンジンが蒸かされ、力強い加速で、“七折登坂”を開始する。

峠の途上で塔寺に停車し、問題なく出発する。この付近では今年11月に“落ち葉(杉の枯葉)で車輪が空転”する事故があり、一部列車が運行取止めでタクシー代替運行になった。私も乗客の一人だった。

 

“七折登坂”を終え、第一花笠ー第二花笠ー元屋敷ー大沢の四連トンネルを抜け会津坂本に到着。右に只見線の終点・小出手前までほぼ並んで走ることになる国道252号線が現れる。

 

会津坂本を出ると柳津町に入り、会津柳津を経て、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。

前方の山は雪雲に覆われ、天気予報通り、奥会津は雪だと思った。

 *参考:只見川電源流域振興協議会「歳時記の郷 奥会津」

 

滝谷を出発した直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。第一から第八に続く“只見線橋梁区間(福島県側)”の前座にふさわしい渓谷美が車窓から見られる。

 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

会津桧原を出て桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。

今日も青緑色の川面が見られた。第一橋梁上から見る只見川は柳津ダム湖(只見川、東北電力㈱柳津発電所の調整池)になっていて、天候状態によって現れる水鏡が異なる。今回は、湖面(川面)に周囲の影を落としていた。

前方右に見えるのが日向倉山(605m)で、この低山が車窓や「第一只見川橋梁ビューポイント」からの景色に奥行と野趣に富む美しさを与えている。

 

渡河直後に名入トンネルを潜り抜け、会津西方を経て「第二只見川橋梁」を渡る。

 

列車は、“アーチ3橋(兄)弟”の長男である大谷川橋梁を渡り、次男・宮下橋を見下ろしながら減速する。

 *参考:埼玉県 観光「【橋りょう】新宮下橋・JR只見線大谷川橋梁・宮下橋〔三島町〕

 

会津宮下に停車し、ここでは会津若松行きの上り列車とすれ違う。先頭は只見川の青緑色を表したラッピング車両だった。

 

会津宮下を出発すると、沿線唯一のダム式調整池+水路式発電所である東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り過ぎる。

宮下ダム湖(只見川)の直側を走る。沿線で最も水際となる区間だ。

 

一瞬、只見川が視界から消えるが、直ぐに「第三只見川橋梁」を渡り見下ろす。

渡河直後に滝谷トンネルに入り、わずかな明かり区間を経て早戸トンネルを潜り抜け早戸に到着。秘境駅で、周囲には民家が無い。

 

早戸を出ると金山町に入り、八連コンクリート曲形アーチ橋である細越拱橋(めがね橋)を渡る。

  

会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡る。

下路式トラス橋で鋼材が視界に入るためタイミングを計り、シャッターを切った。

ここは上田(ウワダ)ダムの直下で、もともと水量は少ないが、今日は水量が多く、全面が濃い青緑色だった。

 

しばらく並行に走った只見川と別れ、開けた場所に出ると東北電力㈱上田発電所・上田ダムと上田集落が見える。

会津中川の手前で、中川字居平の集落が見渡せる高台を通る。

刈田越しに、赤や青の大きなトタン屋根を持つ曲家が並び、その向こうに低山が連なる。只見線の車窓から見える、代表的な奥会津を象徴する光景だ。

 

会津中川を出た後、尻吹峠南西からの眺めが素晴らしい大志(オオシ)集落の脇を通りぬけ、列車は上田ダム湖(只見川)に接近し減速し始めた。

終着を告げるアナウンスが流れ、町道の上井草橋が前方に見え、だんだんと大きくなってゆく。

 

8:01、会津川口に到着。県立川口高校の生徒を中心に、観光客らしき客も10名ほどホームに降りた。

会津川口は上田ダム湖(只見川)に接した、景色の良い水辺の駅だ。

私は経験したことは無いが、上田ダムの貯水量が減ると川床が見えてしまう。ただ、ダム湖が満ちた状態が多く、ホームから長閑な水面越しの風景が見える確率は高い。また天候によっては湖面鏡(水鏡)が見られ、さらに条件が良ければ湖面(川面)上に漂い立ち上る川霧に遭遇できる。

 

ここから先、只見までが運休区間となっている。信号は2011年7月29日から赤のままだ。

平成23年7月新潟・福島豪雨」の影響で、会津川口~只見間は只見線は第五~第七までの只見川橋梁が破断し、第八橋梁は路盤流出など多大な被害を受け、JR管内屈指の赤字区間であったこともあり復旧の見込みが立たなかった。管轄するJR東日本は運休区間の廃止・バス路線転換が望ましいとしていたが、同区間だけを自治体が所有し運行をJRに委託するという国内初の「上下分離方式」を福島県が提案することで復旧が決まり、2021年度中の全線再開通に向け、今年6月に本格的な工事が始まった。

この赤信号は、運休から約10年の時を経て、青に変わる予定だ。

 *参考:拙著「只見線復旧工事起工式」 2018年6月15日

 

 

駅構内に向かい無人の改札を抜け、すぐ脇にある売店の店頭に置かれた“Youはどこから?”ボードを見る。

台湾が圧倒的で、以後、タイ、香港、中国、米国と続いていた。お隣、韓国からのインバウンドが少ないのが気になった。

 

他、今回新たに、スウェーデン、バングラデシュ、ベラルーシの国旗があったが、驚く事にアフリカ大陸のナイジェリアから男性一人が訪れていた。ちなみに、現在の駐ナイジェリア大使は福島市出身の菊田豊氏だ。

 

 

駅頭には運休区間を走る代行バスが付けられていた。さっそく乗り込む。

8:15、只見行きの代行バスが出発。乗客は私を含めて5名。先ほど列車で見かけた観光客の大半は、会津川口で折り返すのだろうか、それとも玉梨温泉などに向かうのか。

 

代行バスは終着まで国道252号線を進んで行く。

 

県立川口高校下の坂を上り、下りの途中で「第五只見川橋梁」を見る。会津若松寄りの橋桁が流出し、通行不能となった。


 

本名駅となっている、本名簡易郵便局前を経て、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)を通り、眼下に「第六只見川橋梁」があった空間を見下ろす。

橋桁(上路式トラス橋)は本名ダムの一斉放流による激流で流され、橋脚だけが残った。

橋脚があった根元の河岸(左岸)では、東北電力㈱によるダム下流減勢工の機能向上対策工事が進められているが、右岸では只見線復旧工事の導入路が作られていた。

この「第六」橋梁の架橋工事がどのように進められるか、興味がわく。巨大な下路式トラス橋の吊り上げは、全復旧工事中最大の見せ場になるだろう。是非、金山町にはJR東日本の協力を得て、工事の状況をライブ配信して、トラス橋吊り上げ時は、有料でも良いので見学ツアーを企画して欲しい。

 

この後、代行バスは会津越川駅、会津横田駅、会津大塩駅、会津塩沢駅、会津蒲生駅と、それぞれの近くに設けられた国道252号線沿いのバス停で停発車を繰り返してゆく。

 

会津横田を過ぎると、国道の二本木橋上から遠くに一部橋桁・橋脚が残った「第七只見川」が見える。霧掛かり、うまく写真を撮ることができなかった。

 

会津塩沢を過ぎ国道の寄岩橋上からは、一見無傷の「第八只見川橋梁」が見える。

盛土の崩壊や地滑り、土砂流入や堆積などが発生し使用不能となっている。

工事では橋梁(371m)の前後を含めた約1,100mにわたって、復旧費用の1/3にせまる約25億円が掛けられる。

 

 

9:05、只見に到着。結局、会津川口からここまで、一人の乗降もなかった。

会津川口を出発後から徐々に多くなってきた雪は、視界に入ってくるようになっていた。

 

ホームの背後にそびえる要害山(705m、只見四名山)は全体がうっすらと色づいていた。

 

国道沿いの店に行き、買い物を済ませてから、駅舎に入り引き戸を開け、ホームに向かう。

端から会津若松方面を見る。レールの先は除雪されておらず、ここも赤信号が点り続けていた。3年後に青に変わる。

新潟支社色のキハ40系二両編成がディーゼルエンジンを震わせ待機していた。

私は後部車両のBOX席に座った。

 

9:30、小出行きの列車が出発。

只見町観光まちづくり協会のスタッフが一人手を振っていたが、用事があったようで、途中で駅舎(事務所)内に入って行ってしまった。駅員に見送られて只見を後にする。

 

列車はディーゼルエンジンの大きな音を響かせ、只見スキー場の前を通り過ぎた先の上り勾配に置かれたトンネル・スノーシェッド群を潜り抜けながら進んで行く。

 

赤沢第一トンネル手前で電源開発㈱の只見ダム(只見発電所)田子倉ダム(田子倉発電所)を見ようとするが、只見ダムはうっすらと見えたものの、田子倉ダムは全く見えなかった。

眼下に見える道路は国道252号線だが、田子倉ダムの下流域、石伏字宮渕地区から先は冬期通行止めとなっていて、只見線が唯一の新潟県・中越地方に抜ける交通手段となっている。これが理由の一つとなり、只見線は「赤字83線」ながら廃止を免れた経緯がある。

 *参考:只見町観光まちづくり協会「国道252号田子倉地内 冬期通行止めについて」(2018年11月23日)

 

上り坂は延々と続き、田子倉トンネル(3,712m)内ではエンジンの轟音を響かせながら進んでいった。

トンネルを抜けた直後に余韻沢橋梁を渡り、やや後方に目をやり田子倉(ダム)湖を見る。

この明かり区間は、田子倉(ダム)湖の中心部を見通せる貴重な場所になっている。

只見町全体は「只見ユネスコエコパーク」に登録されていて、田子倉(ダム)湖周辺はエコパークの緩衝地域(B)となっている。

  

渡橋直後にスノーシェッドに入り、田子倉駅跡を通過する。

巨大な田子倉(ダム)湖は、福島県側の只見線の車窓から見える各ダム湖(只見川)を取り囲んだ素晴らしい景観を創り出している源の一つで、国際的に認められた大自然の中にある。

廃止されてしまった田子倉駅の前後は、通過するだけでは惜しい場所だ。まずは徐行運転から始め、田子倉駅を臨時復活させ降り立った乗客が自然を愛で楽しめる環境整備が必要だと私は思っている。

 

雪に埋もれた田子倉無料休憩所を左に見て、列車は福島県側最後の橋である只見沢橋梁を渡り、直後に六十里越トンネル(6,359m)入って行く。

1970(昭和45)年9月28日にこのトンネルが貫通したことで“只見線”は一本に繋がり、翌年8月29日に会津若松駅~小出駅間(135.2㎞)が全線開業した。

現在の運休区間が予定通り復旧すれば、50年後に再び全線開業することになる。

 

 

六十里越トンネル内は少し進むと下り勾配となり、列車はエンジン音を抑えながら6分58秒で潜り抜けた。新潟県魚沼市に入る。

 

“六十里越え”しても空模様は変わらず、積雪は田子倉(ダム)湖付近より少し多い程度だった。 

冬期通行止め中の国道252号線は除雪されず雪を被っていた。


列車は末沢川を短い間隔で16回渡河しながら谷間を進んで行く。

いくつものスノーシェッドを潜り抜けるが、入口に掲げられた銘板の表記は「雪」となっていた。

「スノーシェッド」を略したのだろう。冬に見るから分かるが、積雪の無い季節にこれを見る観光客は“?”だろうか。

 

 

列車は減速して、末沢川が破間川と合流する場所に架けられた橋梁をゆっくり進んで行く。

9:59、大白川に到着。本州で二番目に長い20.8kmの駅間に29分掛かった。ホームは融雪装置のおかげか、綺麗に除雪されていた。

 

列車は、大白川を出ると破間川沿いを進み、終点まで8回渡ることになる。

 

入広瀬が近づくと、沿線に民家が多くなってくる。

奥会津地域では役場以外で見る事が無かったビル(4階建て)も見えた。地形の違いもあってか住宅の構造など、福島県側と違う人里の雰囲気だ。

 

上条を過ぎ、越後須原手前では平地部が多くなり、田園地帯を進んでゆく。

 

魚沼田中手前で“不渡河橋”である大倉沢橋梁を進み、藪神ダム湖(破間川)を見下ろす。

 

越後広瀬を経て、藪神を過ぎると田の雪も見えなくなり、見通しの良い平地が広がる。

 

車内放送が入り、列車は減速する。左に大きく曲がる魚野川橋梁を進み、破間川が合流する魚野川を渡ってゆく。

この橋は直線のプレードガーターを10基組み合わせた、珍しい構造となっている。

 

10:43、只見線の終点である小出に到着。ホームや周辺に雪は見られなかった。

ただ、側線に待機している除雪機は、これからの降雪に備えてかエンジンを付け、作業員が3名乗り込んでいた。

 

小出から先、上り方面にはレールがつながっていない。このため、二つ先にある上越新幹線の駅である浦佐駅まで只見線の列車が直接乗り入れる事はできない。

下り(長岡)方面にはスイッチバックを行い直通運転が可能となっている。現在も長岡~只見間に「紅葉号」など臨時の列車が走っている。

このスイッチバッグを利用し、1988(昭和63)年までは浦佐~会津若松間に急行「奥只見」号が運行されていた。しかし小出駅構内で多くの時間を要していた。

私は小出駅から浦佐駅に“直通”できるレールとポイントの新設が必要だと思っている。巨額の費用が掛かり、優先順位は低いが、東京圏から観光客を引き入れるためには、新幹線下車後に只見線の列車(できれば観光列車)に乗車できる仕組みは欠かせないと考えている。

 

 

連絡橋の階段を上がり、壁を見ると時刻表が掲げられていた。右の只見線は4本(うち1本が大白川止まり)で、上越線との差は歴然だ。

福島県は、“山の只見線”を標榜し観光路線として只見線の集客を得ようとしているが、新潟県はどうだろう。今日も入広瀬から先では各駅で数名の乗客の姿があった。新潟県第二の都市である長岡市(人口27万人)には商業施設が集積し複数の総合病院があり、小出からは40分程で到着する。長岡と行き来するなど、特に冬場は生活路線として只見線は不可欠だろうが、この“対高校生ダイヤ”では『乗りたい』と思っても『乗れない』のが現状だと思う。

生活路線ならば、15時台と21時~23時台の計2本は最低必要だと思う。列車増は、只見線の利活用に掛かっている。


只見線の利活用による集客と沿線活性化は、福島県と沿線自治体、新潟県や魚沼市との協力・協業が欠かせない。復旧から利活用に方向性は変わったが、新潟県や魚沼市も只見線に関連する会議には参加している。

国費まで投入され全線再開通しようとしている只見線が、今後も地元住民や観光で訪れる国民やインバウンドに永く愛され利用され続けるためにも、福島県と新潟県の官民を交えた交流を通して様々な策を練り、実践していて欲しいと思う。

それが実現すれば、小出~只見間の列車も増やす事ができ、“いつでも乗れる”公共交通が実現するのではないか。

 *参考:福島県「只見線の利活用


 

只見線全線乗車を終え、長岡と新潟経由で郡山に帰る。

11:12、上越線下り長岡行きの電車に乗り込む。

 

11:48、長岡に到着。下車する。

改札前の土産店「ぽんしゅ館」の壁には、新潟県内の酒蔵の一升瓶がびっしりと並べられていた。

中に入り、圧巻だったのはワンカップの山。80種あるという。

3種のワンカップを購入した。すべて純米酒。会津若松に向かう磐越西線の中で「雪男」と「北雪」を呑んだ。

この「ぽんしゅ館」は新潟駅越後湯沢駅の構内にもある。全てに「唎酒番所」という利き酒コーナーもあり、新潟県内のほぼ全ての酒蔵の酒が呑めるという。

 

長岡駅構内を出て、外に出る。向かったのは、長岡城址。

現在は長岡市役所本庁舎となっている。

只見線の会津塩沢駅近く(旧塩沢村)で生涯を閉じた、旧長岡藩・家老で軍監の河井継之助は新政府軍に奪われたこの城を奪還するために戦い、左膝に銃弾を受けた。彼は会津藩を頼るため若松城下を目指し“八十里越え”を敢行したが、途上の塩沢村で傷が悪化し破傷風で亡くなったという。彼の墓と「河井継之助記念館」は彼の生誕地であるここ長岡市と、旧塩沢村(現只見町)の2箇所にある。

河井継之助は最期を只見線沿線で迎えたことで、新潟県との文化的交流を深いものにし、司馬遼太郎著「峠」の影響も含め歴史観光資源に厚みを与えてくれている。

 

 

長岡市での予定を終え、新潟市に向かう。

 

新潟市内では、2015(平成27)年9月5日に開業した新たな公共交通システム「BRT(Bus Rapid Transit)」を利用。初めて、連結バスに乗る。 *参考:新潟市「新たな交通システム

  

新潟駅は高架工事が進み、地上に如かれていたレールは撤去されていた。 *参考:新潟市「新潟駅付近連続立体交差事業


 

すべての予定を終え、郡山に戻る。

   

新津で乗り換えた会津若行きの列車は磐越西線を快調に進む。県境が近づくにつれて雪の量が多くなり、馬下駅のホームには5cmほど積もっていた。

 

19:00、会津若松に到着。寄り道をしながら新潟経由で13時間をかけ一周した。

向かい側に到着した郡山からの列車からは大きな荷物を持った方が次々と改札に向かっていった。年末の帰省が始まっている。

この後、郡山行きの列車に乗り会津若松を後にする。雪の量は少なく、順調に磐越西線を進む。

 

20:14、郡山駅に到着。少し雪が舞っていた。

 

予定ではこのまま帰宅だったが、長岡駅での“地酒の主張”が頭に残り、全国新酒鑑評会で金賞受賞数「6年連続日本一」となった我が福島県はどうであろうと、先日駅構内2階に再オープンした「もりっしゅ」に立ち寄る事にした。

元々1階で営業していたが、2階に移転し、店舗面積を2.5倍に拡大し客席を47席に倍増させ先月24日に再オープンした。

1階で営業していた時は“こぎれいな居酒屋”という印象だったが、新しい店舗は“洒落た洋風レストラン”風に変わっていた。これならば、女性での一人で気軽に立ち寄れる。私が座ったカウンターにもソロの女性客が食事をしていた。

「もりっしゅ」は県内55蔵の日本酒を中心に、ビール、ワイン、焼酎、ウィスキーなど地元産の酒が豊富にあり、福島の酒をほぼ網羅している。料理はイカニンジンや鰊の山椒漬けなどの定番の肴から、川俣シャモや福島牛を使った飯ものがあり、会津ソースカツ丼はダブルというカツ二枚のせまで取り揃えている。

 

私は、郡山市内の仁井田本家「しぜんしゅ しぼり」(純米)とつまみ三種盛り合わせを注文した。

小ぶりのワイングラスに注がれた「しぜんしゅ しぼり」は、甘い香りと酸味があり、白ワインと思える上品が味わいだった。旨い!

仁井田本家「しぜんしゅ(自然酒)」は特徴ある酒で、香りと風味は他の日本酒と一線を画している。是非、多くの人に呑んでもらいたい酒だ。

その後、県内・古殿町の若清水酒造「純米吟醸 若清水」を呑み、福島県全体の日本酒レベルの高さを実感し、店を後にした。

「もりっしゅ」は開放的で入りやすく、地酒の品ぞろえを考えれば、頻繁に通いたくなる店だと思った。存在が知られれば多くの観光・ビジネス客に利用されるだろう。

 

郡山駅は福島県の中心部で、只見線を利用する東京圏の観光客が多くが経由する。郡山駅で“福島の魅力”を知ることができれば、只見線の旅の思い出は、福島県全体の好印象へと結びつくだろう。日本酒は“福島の魅力”を伝えられる格好の媒体だと思う。呑むことで福島県の水(自然)・コメ(農業)・技(ヒト)を凝縮し体験・感じられるからだ。

「もりっしゅ」は良い店だったが、長岡駅の「ぽんしゅ館」ほどのインパクトは無い。新幹線の改札口からは少し離れ、乗客の導線外という立地も気になる。新幹線の乗客の目に必ず留まり、立ち寄りたいと思える日本酒を扱う店舗が郡山駅内に必要だと私は思う。

「もりっしゅ」はそのままに、新幹線改札前や新幹線コンコースから見える場所に、福島県の日本酒を手に取って見たくなる、強烈なデザインと陳列を伴った“酒の店”を作って欲しい。

 

 

・ ・ ・

今年も只見線は四季折々様々な表情を見せてくれた。何度乗っても車窓からの景色は飽きる事がなく、国内屈指の“車窓景観鉄道”だと思う。沿線の観光資源も豊富だが、二次交通が乏しく、多くの乗客に機会ロスを強いている。

2021年度の只見線全線再開通まで、時間があるようで無い。東京オリンピックの熱狂に隠れる事無く、その勢いを借りて、車窓景観を楽しめる「専用観光列車の調達」と「通信環境整備(Wi-Fi)」という基礎を作り、「二次交通の整備」「食の充実」「宿の多様性」という3本柱を沿線住民を中心とした福島県民一体となって立てていく必要があると私は思う。

 

今年も大変お世話になりました、JR只見線!

(了)

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「JR只見線 福島県情報ポータルサイト

*参考:政府 インターネットテレビ「見どころたくさん 福島に来てくなんしょ!」(2017年1月26日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

よろしくお願い申し上げます。



次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000